世界最大の「独立した祖国を持たない民族」 クルド人

民族紛争はいろいろ世界各地に散らばって発生しているが、オスマントルコの崩壊によって生じた、クルド人問題から始めていく。


クルド人は世界最大の「独立した祖国を持たない民族」で、人口は約3000万。

居住地域はトルコとイラク、イラン、シリアの国境地帯。



イメージ 1


彼らの祖先は紀元前8世紀にイラン高原でメディア王国を建国したインドーヨーロッパ語族のメディア人である。

しかしメディア王国は紀元前6世紀の半ばに、ペルシャ人によって滅ぼされ、以後クルド人はペルシャ、アラブ、トルコ、モンゴル、ロシア、そしてイギリスやフランスによる分割支配を受けてきた。


第1次世界大戦でオスマントルコが敗戦となって、戦勝国側の手によりオスマントルコの領土だった土地に、新制トルコ、イラン、イラク、シリア、アルメニアなどの国々が出来たが、クルド人はその流れに乗ることが出来ないまま、それらの国々の山岳地帯にそのまま住み着いている。


ここの地域の先住民族なので、独立して国を持つのは至極当然のことなので、現在でもトルコやイラク、イランで、クルド人の様々な政治組織が独立や自治を求める戦いを続けている。


クルド人の住む地域はクルディスタンと呼ばれ、現在は国境線によって4つの地域に分割されている。


イメージ 2


北クルディスタン(トルコ領)

人口約1300万人。

かつてオスマン・トルコ帝国の時代には、クルド人は伝統的に部族を支配する首長たち

の下で一定の自治権を与えられていたが、1920年のトルコ共和国の成立後は、強力な

「同化政策」が行なわれた。

クルド人の存在は否定されて(東部トルコ人とされた)、クルド語の使用は厳しく制限されてきた。


南クルディスタン(イラク領)

人口約420万人。

KDP(イラク・クルディタン民主党)とPUK(クルディスタン愛国者同盟)という

武装組織があり、フセイン政権に対して自治権を要求して武装闘争を続けてきた。

湾岸戦争の後、アメリカの介入でイラク北部にクルディスタン自治政府が設立されたが、KDPとPUKとの間で武力抗争が続いている。


東クルディスタン(イラン領)

人口約570万人。

2次世界大戦後のソ連軍の進駐の中で、1946年1月にクルディスタン人民共和国(通称、マハバド共和国)が設立されたことがあるが、同年12月にイラン軍の占領により崩壊した。

パーレビ王朝の下で弾圧されたクルド人たちは、1979年のイラン革命で大きな役割を果たしたが、その後のホメイニ政権もクルド人の自治運動を弾圧。

現在、IKDP(イラン・クルディタン民主党)やKOMALA(イラン共産党クルディスタン支部)などの組織があり、イランのイスラム政府打倒と自治権要求を掲げている。


西クルディスタン(シリア領)

人口100万人。

この他、旧ソ連のアルメニア、アゼルバイジャン両国に40万人、ヨーロッパ各国に約70万人のクルド人が住んでいる。

90年代に入って日本へもクルド人難民がやって来た。

彼らの大部分はトルコ領内の出身。


イメージ 3

 湾岸戦争の後、トルコ軍が大規模な「平定作戦」を行ない、先祖代々暮してきた町や村を追われたクルド人が難民となって海外へ脱出した。

彼らは「トルコ国民」としてトルコ旅券を使って海外へ向かったが、その頃、西欧諸国ではトルコ移民排斥の動きが盛んとなり、そのあおりで西欧に入国しずらくなったクルド人が日本へも来るようになった。

現在、日本に定住するクルド人は300~400人、埼玉県南部を中心にコミュニティを作っている。

この記事へのコメント