吉備王国へのみち その36 倉敷美観地区
後楽園散歩を終え、今日の夕食も昨日と同じく駅近くの定食屋で済ませた。
食べたのはとんかつ定食で、ホテルに帰ってから缶ビールを飲み、昨日同様に明日の計画を確認し、持参する用具類を点検・チェックしてから午後9時すぎにベッドに入った。
翌日の朝食はいつものとおり7階の朝食会場で、今日も三日間連続で岡山県名物の桃を使った「桃太郎カレー」を食べた。
そして、5日目の日程であるが、今日は一日倉敷美観地区を散策するが、倉敷美観地区は、岡山県倉敷市にある町並保存地区・観光地区である。
江戸時代初期の寛永19年(1642年)、江戸幕府の天領に定められた際に倉敷代官所が当地区に設けられ、以来備中国南部の物資の集散地として発展した歴史を持つ地域である。
岡山駅で8時55分の電車に乗り、9時11分に倉敷に到着した。
岡山駅からは徒歩で美観地区まで歩いたが、10分ほどで到着した。
当エリアは倉敷市の美観地区景観条例に基づき定められたもので、伝統的建造物群保存地区(倉敷川周辺)は倉敷川畔伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
まず、黄←の大原美術館で名画にふれることにした。
まず、黄←の大原美術館で名画にふれることにした。
大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎に託して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などの作品を展示するため、1930年に開館した美術館で、西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初である。
大原孫三郎は1880年、親の代から紡績業を営む、倉敷の名家に生まれた。
日本の児童福祉の先駆者であり、岡山孤児院の創設者である石井十次との出会いが大原の人生を変えたという。
プロテスタント信者であった石井の影響で自らもプロテスタントに改宗した大原は、事業で得た富を社会へ還元することの重要性に目覚め、大原社会問題研究所、労働科学研究所、倉敷中央病院など次々と設立したが、大原にとっては美術館の創設も社会貢献の一環という認識だったようだ。
この記事へのコメント