奈良大和路散歩(2016年の旅) その36 高取町散策
時間に余裕があったので、高取町を見ることにした。
古代渡来系氏族の「東漢氏」と「波多氏」が勢力をもって競っていた高取、南北朝時代には豪族越智氏により日本三大山城である高取城が築城された。
江戸時代には、植村家2万5千石の城下町として栄えた。
ここには高取城跡や壷阪寺など見所が沢山あるのだが、時間の都合で、まず高取城へ一直線に向かって伸びる土佐街道の道筋にかつて油屋、鋳物屋など5百棟もの商家が軒を連ね栄えた土佐の町並みをちらっと見た。
それから高取町に残る武家屋敷の長屋門を二つ見た。
ここは武家屋敷田塩邸で、塀が二重になった堅固な造りとなっている。
格子が横になった与力窓が二つ着けられている。
与力窓とは、菱子の横格子で与力窓または武者窓といわれ、江戸時代に同心を指揮した与力の役宅の窓格子のことで、屋敷の規模に応じてこの窓がいくつか開けられていた。
門を入ると、ここにも格子をはめた監視窓つきの塀があり、表口を警戒する珍しい構えとなっている。
次に、植村家長屋門を見た。
ここは旧大手門の通りに面しており、旧高取藩の筆頭家老屋敷は県重要文化財に指定されている。
江戸末期の1826年の建立で、門口39.1m、奥行4m、むね高5mの規模で一重入母屋瓦葺き造りである。
近代武家屋敷表門の遺構を残している貴重な建物で、石垣もなかなかりっぱだが、その上の腰板張りの部分は城下町の雰囲気漂うなまこ壁である。
なまこ壁は防火、防水などの目的で壁面に平瓦を並べて貼り、瓦の継ぎ目に漆喰をかまぼこ型に盛り付けて塗る工法で、その目地がナマコに似ていることからこう呼ばれた。
門内の東西に各四室の部屋があり、江戸時代は高取藩に仕える中間たちが、それぞれの部屋に住んでいたという。
ここは現在も、旧藩主の子孫の植村氏の住居となっている
ここを見終えると午後2時半ころになっていて、帰路が心配なのでここでレンタカー会社に向けて方向を変えた。
心配していたとおり、レンタカー会社にたどり着くまで渋滞に巻き込まれたり、何度も八木駅の周りを徘徊したり、ようやくレンタカー会社に戻った頃には精神的にかなり疲弊してしまっていた。
なにぶん旅先で初めてレンタカーを利用したので今回はこんな結果となったが、次回からはもっと上手にレンタカーを利用できるようになっているだろう。
今日の夕食は天理駅前のコンビニで買った麻婆丼+缶ビール(1259円)、部屋で美味しくいただいた。
夕食前に部屋で相撲の5月場所を見ていたが、明日の千秋楽を待たずに、白鵬の優勝が決まってしまった。
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