九州散歩Ⅰ その36 平戸サビエル記念教会
「三浦按針の墓」から、次に「平戸サビエル記念教会」に向かった。
赤☆印で示した平戸サビエル記念教会へは700m程の距離で、黄線で示した道を通り、教会坂を駆けあがって行った。
教会坂からは、平戸ザビエル記念教会はこのように見える。
平戸の代表的な景観で、「寺院と教会の見える風景」と呼ばれる坂道は、これとはまた別の坂道である。
ザビエル記念教会を正面から見て、右側が教会坂、ここから少し離れているけれど左側の道が「寺院と教会の見える坂道」で、こちらも道も通ってみた。
ここは石畳と白壁、そして寺院に重なる平戸ザビエル記念教会の尖塔に象徴される絶景の坂道となっている。
上方に正宗寺、手前に光明寺、その下に端雲寺、3つの寺院と教会の尖塔というこの組み合わせは観光ポスターにもよく使われる光景で、平戸を代表する風景となっている。
この、寺院と教会の見える風景の坂を通って、平戸ザビエル記念教会に到着した。
平戸ザビエル記念教会の保護者は大天使聖ミカエルだが、聖フランシスコ・ザビエルの3度の平戸訪問を記念して、1971年(昭和46年)にザビエルの像が聖堂の脇に建てられたことから「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」とも呼ばれるようになり、その後、現在の名称にあらためられた。
平戸は、ザビエルが三度にわたって布教に訪れた地であり、ザビエル以降に来日したイエズス会宣教師たちによって平戸島や生月島では多くの住民がカトリックの洗礼を受け、その後の江戸時代の禁教令下でも隠れキリシタンとして信仰を受け継いでいった人が多かった。
2006年には、献堂75周年とザビエル生誕500年を記念してフランスのルルドの泉を模した「ルルド」が敷地内に建設された。
ルルドはフランスとスペインの間のピレネー山麓の小さな村のことで、この村が聖地となったのは19世紀のことである。
貧しい少女の前に聖母マリアが出現し、奇蹟が起きたことがきっかけとされている。
少女は、マサビエル洞窟の岩のくぼみの中に、白い衣装を着た婦人(聖母マリア)たが、これが最初の出現で、その後17回の出現があった。
聖母マリアの告げによって少女が手を触れた地面から泉が湧き出し、その水を飲んだ人は病気が治るという奇蹟が起こった。
この話はまたたく間にフランス中に広がり、ヨーロッパ各地から奇蹟を求める人々が訪れるようになったという。
赤☆印で示した平戸サビエル記念教会へは700m程の距離で、黄線で示した道を通り、教会坂を駆けあがって行った。
教会坂からは、平戸ザビエル記念教会はこのように見える。
平戸の代表的な景観で、「寺院と教会の見える風景」と呼ばれる坂道は、これとはまた別の坂道である。
ザビエル記念教会を正面から見て、右側が教会坂、ここから少し離れているけれど左側の道が「寺院と教会の見える坂道」で、こちらも道も通ってみた。
ここは石畳と白壁、そして寺院に重なる平戸ザビエル記念教会の尖塔に象徴される絶景の坂道となっている。
上方に正宗寺、手前に光明寺、その下に端雲寺、3つの寺院と教会の尖塔というこの組み合わせは観光ポスターにもよく使われる光景で、平戸を代表する風景となっている。
この、寺院と教会の見える風景の坂を通って、平戸ザビエル記念教会に到着した。
平戸ザビエル記念教会の保護者は大天使聖ミカエルだが、聖フランシスコ・ザビエルの3度の平戸訪問を記念して、1971年(昭和46年)にザビエルの像が聖堂の脇に建てられたことから「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」とも呼ばれるようになり、その後、現在の名称にあらためられた。
平戸は、ザビエルが三度にわたって布教に訪れた地であり、ザビエル以降に来日したイエズス会宣教師たちによって平戸島や生月島では多くの住民がカトリックの洗礼を受け、その後の江戸時代の禁教令下でも隠れキリシタンとして信仰を受け継いでいった人が多かった。
2006年には、献堂75周年とザビエル生誕500年を記念してフランスのルルドの泉を模した「ルルド」が敷地内に建設された。
ルルドはフランスとスペインの間のピレネー山麓の小さな村のことで、この村が聖地となったのは19世紀のことである。
貧しい少女の前に聖母マリアが出現し、奇蹟が起きたことがきっかけとされている。
少女は、マサビエル洞窟の岩のくぼみの中に、白い衣装を着た婦人(聖母マリア)たが、これが最初の出現で、その後17回の出現があった。
聖母マリアの告げによって少女が手を触れた地面から泉が湧き出し、その水を飲んだ人は病気が治るという奇蹟が起こった。
この話はまたたく間にフランス中に広がり、ヨーロッパ各地から奇蹟を求める人々が訪れるようになったという。
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