アルメニア 汝は、イスラムの大海に浮かぶ孤高のキリスト教国

ロシア人は、ソ連時代には自国民であったアルメニア人を「カフカスのユダヤ人」と捉えて、そのように処遇して来た。



歴史的にトルコ人やペルシャ人やモンゴル人に国土が侵入され、国土荒廃の結果、10世紀に多くのアルメニア人が故国を捨てる(ディアスポラ)になった。



16世紀以降もアルメニア人居住地域は、オスマントルコ、ペルシャ、ロシア三大勢力の草刈り場になった。



ユダヤ人の国イスラエルは第2次世界大戦後、アラブの海の只中に孤高のキリスト教国として建国された。



アルメニアも同じようなもので、ロシア革命後に民族主義者により一旦アルメニア民主共和国が樹立されるが、赤軍の侵攻により崩壊した。

その後、ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国の一部となった後、1936年にソビエト連邦を構成するアルメニア・ソビエト社会主義共和国となり、ソ連崩壊後独立してアルメニア共和国となった。



アルメニアの周囲は、イスラエルと同様に、アラブの海となっている。



アルメニアは近年まで、先に紹介したクルド人とともにオスマントルコの支配化に置かれていたが、クルド人とは違ってしっかりと自国を持つ民族である。



隣同士に住んでいるが、宗教的な素地もあり、ユダヤ人が造った国であるイスラエルに似たところがある。



攻撃の対象となるのはイスラム系の国々で、特に第1次世界大戦中に150万以上のアルメニア人が虐殺されたという史実もあり、オスマントルコの末裔であるトルコ国に対しての憎しみは、僕らの想像以上のものがある。



アルメニア人は国際関係でも政治を動かす大きな力を所有していて、アルメニア決議はその象徴のようなものである。



アルメニア決議は、トルコ人がアルメニア人大虐殺を認めなければEC加盟を認めないという内容で、トルコは未だECに入れないでいる。



トルコ周辺の地域や国々には、民族問題と言われる諸問題が堆積しているが、その原因のほとんどは、イスラム教徒とキリスト教徒の間の宗教闘争である。

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