2012年に旅したオホーツク街道の続き その38 「辻口家」まで歩く
氷点通りをHONDAの社屋から右に曲がっていくと、そこは国道237号線の通りである。
すぐ左手の赤5番の位置には「神楽農協」が建っていて、直売所が併設されている。
当直売所はJAあさひかわ地区で生産された新鮮で安全・安心な「お米・野菜・農畜産加工品」を販売していて、お米は玄米をその場で精米(無料)してくれる。
また農協のすぐ前にバス停があり、氷点の舞台の中では陽子の暮らす辻口家はこのバス停をよく利用していた。
神楽農協の国道237号線を挟んで向かい側の赤7番の位置に、陽子らが通った「神楽中学校」
があったが、1997年に移転した。
神楽中学校は、卒業式答辞すり替え事件の舞台でもある。
国道237号線の歩道を少し歩いて行くと、赤6番の位置に「神楽小学校」がある。
陽子らが通っていた頃の小学校は木造校舎だった。
ここから再び氷点通りの方角に向きを変え、HONDAの四つ角を黄⇓の方角に歩いて、赤☆の位置にある「辻口家」に向かった。
実際にここに「辻口家」に該当する建物はないが、氷点の記述の中ではこの場所に「辻口家」が存在していた。
「辻口家」のモデルとなったのは、旭川市宮下通にある藤田邸である。
藤田邸は1930年の建築で、木造2階建て延べ170平方㍍。
当時住宅で流行した和洋折衷様式で、洋風の2階建てと和風の平屋で構成され、洋風部分にはアーチ状の欄間が装飾されている。
現在も個人宅として使われ、特徴的な外観と石炭暖房の「ペチカ」を備えた内部は、建築された91年前の状態をほぼ保っているとみられる。
三浦さんは「氷点」の執筆前にこの家で開かれていた句会の参加者として出入りしており、主人公の家のモデルにした。
小説が新聞に連載された際の挿絵でも描かれ、市民団体「旭川の歴史的建物の保存を考える会」(軽部望会長)は、歴史的価値のある建物をたたえる2021年の「第24回建築賞」に、三浦綾子さんの小説「氷点」に登場する家のモデルとなった一般住宅「藤田邸」を選んだ。
すぐ左手の赤5番の位置には「神楽農協」が建っていて、直売所が併設されている。
当直売所はJAあさひかわ地区で生産された新鮮で安全・安心な「お米・野菜・農畜産加工品」を販売していて、お米は玄米をその場で精米(無料)してくれる。
また農協のすぐ前にバス停があり、氷点の舞台の中では陽子の暮らす辻口家はこのバス停をよく利用していた。
神楽農協の国道237号線を挟んで向かい側の赤7番の位置に、陽子らが通った「神楽中学校」
があったが、1997年に移転した。
神楽中学校は、卒業式答辞すり替え事件の舞台でもある。
国道237号線の歩道を少し歩いて行くと、赤6番の位置に「神楽小学校」がある。
陽子らが通っていた頃の小学校は木造校舎だった。
ここから再び氷点通りの方角に向きを変え、HONDAの四つ角を黄⇓の方角に歩いて、赤☆の位置にある「辻口家」に向かった。
実際にここに「辻口家」に該当する建物はないが、氷点の記述の中ではこの場所に「辻口家」が存在していた。
「辻口家」のモデルとなったのは、旭川市宮下通にある藤田邸である。
藤田邸は1930年の建築で、木造2階建て延べ170平方㍍。
当時住宅で流行した和洋折衷様式で、洋風の2階建てと和風の平屋で構成され、洋風部分にはアーチ状の欄間が装飾されている。
現在も個人宅として使われ、特徴的な外観と石炭暖房の「ペチカ」を備えた内部は、建築された91年前の状態をほぼ保っているとみられる。
三浦さんは「氷点」の執筆前にこの家で開かれていた句会の参加者として出入りしており、主人公の家のモデルにした。
小説が新聞に連載された際の挿絵でも描かれ、市民団体「旭川の歴史的建物の保存を考える会」(軽部望会長)は、歴史的価値のある建物をたたえる2021年の「第24回建築賞」に、三浦綾子さんの小説「氷点」に登場する家のモデルとなった一般住宅「藤田邸」を選んだ。
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