思い出の中の川 第1回 2004年6月の中継川

 今回から、過去の釣行時に撮影した記録写真を元に「思い出の中に入ってしまった、もしくはすっかり忘れてしまった釣行」のことを書くことにする。


 初回は2004年6月に釣行した中継川である。


 中継川は釣り師の現職時代に、その職場で非常勤嘱託をしていた山田さんについて行って初めて釣った川で、その後も十数年の間山田さんと誘い合わせてこの川で釣りをした、思い出の多い川である。



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 上の地図の範囲が、中継川で釣った場所で、上流の樽欠橋から下流の荒川口までの間を釣ったことになる。


 赤丸イは岩魚のこと、赤丸ヤは山女のことで、これらの場所で主に岩魚や山女を釣ったが、実際にはほとんどの区域で岩魚や山女を釣りあげているので、赤丸イや赤丸ヤで地図の範囲内の河は真っ赤に染まる。



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 樽欠橋の下流の黄☆印の場所には、以前はこのようなりっぱな養魚場があった。



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ここから流れ出した餌を目当てに、岩魚や山女がこのあたりに近づいてきて、養魚場周辺の川は中継川一番のヒットポイントとなっていた。



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 養魚場から流れ出る排水溝がここの場所で中継川に流れ出ている。



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ここから下流部50m程の区域は通常は何時行っても結構いい型の岩魚や山女がでていた。



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 ここから上流部の方はそういい思い出もないが、それでも何回かは思いがけない大物に出会ったこともある。


 この日は養魚場の周辺で何匹か釣ったはずだが、写真記録としては残っていない。



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 この黄☆印の場所も結構いい山女のポイントとなっていて、ここは川一面が瀬釣りのできる場所で、瀬釣りの合間に栗拾いも沢山した思い出の場所である。



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 こんな写真が残っているが、ここは川のどこからでも山女が飛び出てくる。



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 ここで釣れた綺麗なパーマークの出ている山女の写真が残っている。



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 このポイントの少し上の流れ込みでも、山女が釣れた。



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 先ほどとほぼ同じ型の20cm程の山女が、ここでも釣れていた。



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 この日は養魚場周辺や先ほどの場所で楽しい釣りの時間を過ごし、この興屋清水で昼食としたようである。


 中継川は平成に入ってから平成14年頃までは頻繁に通った川だが、それ以降は関川村に通うようになったので、ますます遠い「思い出の中の川」となってしまった。

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