探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その6 河口「アストラハン」にて(この川の最終回)
市内の小公園「白鳥の湖」
アストラハン(ロシア語:Астрахань アーストラハニ;Astrakhan)は、ロシア南部の都市でアストラハン州の州都。
人口は502,800人(2004年)でカスピ海低地、ヴォルガ川下流域デルタに位置し、カスピ海岸からは約90km離れてる。11の島から市街地は形成されており、
カスピ海で獲れるキャビアの加工地としても知られる。
1月の平均気温は-10度、7月の平均気温は25度。市街はキーロフスキイ、ソヴィェーツキイ、レーニンスキイ、トルソフスキイの4つの地区に分けられている。
アストラハンのクレムリン
古くから東西の交易の要衝として栄えた。
ここまでロシア平原を南下すると、もう中央アジアの領域に入る。
東はカザフスタン、その向こうはモンゴルである。南はカスピ海からペルシャの地、西はグルジアやアルメニアのあるコーカサスの地である。
アストラハンはチンギスカンの長子ジョチの子バトウがキプチャック汗国を築き、都と定めたサライに近く、キプチャック汗国の最重要港として栄えた。
レーニンの父、ウリヤノフ氏の家(彼はアストラハンの出身だった)
その後、イヴァン4世(イヴァン雷帝)やステンカ・ラージンの率いた軍勢にも占領されたことがある。
ここはスラブ民族だけの土地ではなく、モンゴル人やトルコ人などが入り混じった民族の十字路なのである。
アストラハンの名物と言えば、衣類はアストラカン毛皮、食い物は西瓜にキャビアというところであろう。
アストラカン毛皮は、カスピ海に面したヴォルガ河口都市アストラハン地方原産の子羊の巻き毛の黒い毛皮で、非常に高価なものである。
アストラカン毛皮で作った帽子
コナン・ドイルの例のシャーロックホームズの「ボヘミアの醜聞」という事件の中で、フォン・クラム伯爵というボヘミアの貴族が着ていた豪華なダブルコートの襟についていたという話が出てくる。
キャビアは(英語、フランス語:caviar;ロシア語:черная икраチョールナヤ・イクラー)はチョウザメの卵の塩漬け。トリュフやフォアグラと並び世界三大珍味の一つに数えられている。
トリュフです。美味しそうに見えないけど・・
フォアグラですが、美味しそうに見えますか?
おもな産地はロシアで、特にカスピ海とアムール川が有名だが、カスピ海はイランにも面しているため、イラン産のキャビアもよく知られている。
ロマノフ王朝ではキャビアは饗宴の象徴で、惜しみなく振舞われたという。
しかし、庶民にとっては、帝政ロシアの貴族がこよなく愛したキャビアは大変な贅沢品で、それを食べることが出来るかどうかで階級が決まるほどの食べ物だった。
あの有名な豪華客船タイタニック号の最後の晩餐会でも、キャビアはオードブルとして出ている。
キャビアの次にサーモンのソテー、フォアグラを載せた牛ヒレ肉のステーキなどが出て、バニラアイスクリームと季節の果物の盛り合わせのデザートで終わったという。
久遠(くおん)に轟(とどろ)くヴォルガの流れ
目にこそ映えゆくステンカ・ラージンの船
ペルシャの姫なり燃えたる唇(くち)と
うつつに華やぐ宴が流る。
ここは、かつて「世界の半分」と呼ばれるほど繁栄した、ペルシャの古都「イスファーハン」のイマーム広場で、ペルシャの姫が沢山いた場所でもある。
この歌の主人公ステンカ・ラージンは、ドン・コサックの指導者である。
「コサック」とは「群を離れた者」という意味のトルコ系の言葉で、領主への隷属を嫌って、ロシア南部のドン川・ドニエプル川など大河の周辺辺境へ逃亡してきた農民たちのことで、漁業や海賊行為を生業としていた。(農業は余り行わなかった)
ロシアの辺境に住む人たち(コサック)の盗賊行為は,その力が国外に向けられている限りロシアの国益とも一致することが多かったのか、ロシア政府はコサックをある程度自由に泳がせるような政策をとっていた。
ラージンはドン・コサック(ドン川一帯に住んでいたコサック)の大部隊を率いて南に向かい、ペルシャの地方豪族を襲い、彼等の富や「戦利品」として豪族の娘を次々に獲物とした。
ロシアは17世紀前半までは彼等をある程度泳がせていたが、大国へと成長し、南方への領土拡大を強めるに連れ、コサックの自治体制を危険視し、これを崩そうとした。
ステンカ・ラージンの乱は、ロシアがコサックへの締め付けを強め、コサックの掠奪行為を禁圧したことから起きた。貧しい農民を味方に加え、大国ロシアに反逆を起こした。
1667年に海賊軍隊を率いてトルコ沿岸を略奪、1668年、ペルシア湾岸を襲撃、1670年、ドン地方を占拠、ついでアストラハン・サラトフを占領し、シンビルスクを包囲した。
しかし、その年の秋、反乱軍はシンビルスクで敗北し、ステンカ・ラージンは負傷、ドンに逃れたが、部下の裏切りに遭い、あえなく逮捕され、モスクワにて両手足切断の4つ裂きの刑で処刑された。
ロシアの大地は雄大である。この地を、古くはバイキングに始まりジンギスカンの子孫達、チムール、ステンカ・ラージン、ナポレオン、ヒトラー等の征服者が駆け抜けた。
ボルガ河はロシアの魂とも言える川である。
源流から河口まで、トベリ、ヤロスラブリ、カザン、ウリヤノフスク、ボルゴグラード、アストラハンと、ロシアの中核となる歴史のある街が次々と現れ、時間の壁を超え、ロシアという国の成り立ちを、垣間見せてくれた。
河口はカスピ海に注ぎ、その海の向こうはペルシャである。
カスピ海の彼方のペルシャの地、イスファーハンの夕日です。
井上靖 シルクロード詩集より 「カスピ海」
鉛色の海が広がっている。海は渚に座って、七重になって寄せている波の音を聞いていた。
どこか海とは違っている。もちろん川でもないし、と言って、水溜りであろう筈はない。
青い空の下にふしぎな水域が広がっている。遠くに蝶鮫獲りの舟が一艘見える。
ジュンチャン ボルガ紀行から 「ボルガの幻影」
ロシアの祖となったバイキング達を真似、ボルガ源流から河口まで、3690kmを旅した。
この河の畔にレーニンが生まれ、この河の畔で、スターリンとヒトラーが戦った。
この河には、青き狼「チンギスカン」の気配もする。
そして、ペルシャの姫を抱いたステンカラージンの雄たけびも、はっきりと聞こえるのだ。
カスピ海の対岸の地図です。アフリカももう少しだ・・・
ボルガ河の旅は今回で終了です。長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。
この後、最後の河であるナイル河を目指す。
次回からもご来店ください!!
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