2012年に旅したオホーツク街道の続き その40 見本林の中を歩く
これから美瑛川の河原まで見本林(外国樹種見本林)の中を歩いて行く。
赤□Bの位置が三浦綾子記念文学館である。
文学館の正面入口の自然木に掲げられているのは「自然休養林」、「外国樹種見本林」、「国有林・林野庁」、さらに「ようこそ 三浦綾子記念文学館」の案内板である。
駐車場の脇には「見本林」の碑がある。
見本林は氷点の中では辻口家と並んで最も重要な場所で、明治31年にストローブマツ、ヨーロッパカラマツ、ヨーロッパアカマツ、ヨーロッパトウヒの四種類の苗木を植えたのが始まりで、現在50種類の木があり北海道で最も古い外国樹種人工植栽地である。
道を挟んだ隣りには「氷点」の碑がある。
この碑には、「氷点」の冒頭部分が書いてある。
「風は全くない。東の空に入道雲が、高く陽に輝やいて、つくりつけたように動かない。
ストローブ松の林の影が、くっきりと地に濃く短かかった。その影が生あるもののように、くろぐろと不気味に息づいて見える。」
この碑には、ここまでしか書かれていないが、その後はこう続いている。
「旭川市郊外、神楽町のこの松林のすぐ傍らに和、洋館から成る辻口病院長邸が、ひっそりと建っていた。近所には、かぞえるほどの家もない。遠くで祭りの五段雷が鳴った。昭和二十一年七月二十一日、夏祭りの日のひる下がりである。」
この小説「氷点」の冒頭部分に関して、興味を惹かれるブログがあったので、それを引用しながら「見本林」を歩いて行く。
ブログを書かれた方は、三浦綾子読書会代表で三浦綾子記念文学館特別研究員でもある森下辰衛氏である。
氏は1962年岡山県生まれで1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義し、2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰して、2011年秋より三浦綾子読書会代表となった。
2006年に家族とともに「氷点」の舞台である旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となった。
2007年に教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
これから氏のブログを引用していく。
「氷点冒頭はなぜ1946(昭和21)年7月21日と決められたのでしょう。戦後間もなくである必要はあったと思いますが、エッセイや年表を見ても堀田綾子にとって特別な日ではなかったように思えます。この年3月末に教員を辞職し6月から結核療養のため白雲荘(市中心部10条11丁目)に入所中でした。彼女の心が淋しさで凍えてしまう〈氷点〉の時期であったことは確かですが、物語の冒頭を7月21日と決めたのは上川神社の夏祭りに合わせるためだった考えられます。・・・・・・・」
小説冒頭で「昭和二十一年七月二十一日、夏祭りの日のひる下がりである。」と紹介されている上川神社の夏祭りだが、昭和二十一年七月二十一日はカレンダーを見ると日曜日である。
華やかで晴れやかな地域の祭りが進行している中で、物語は想像をはるかに超える事件で始まりを告げるのである。
小説の冒頭部分を頭に浮かべながら堤防まで歩いたが、堤防上の道はどこまでも真っすぐと伸びていて、まるで小説のヒロインである陽子の心のような道だと思った。
森下辰衛氏はさらに書き進めていく。
「冒頭の光と影、輝く天の雲と地に濃く短くうごめく樹木の影が、辻口家のひいてはすべての人間の二面性を表わしているという読みは問題なかろうと思うが、他方でそこに旭川、北海道、そして日本の光と影、敗戦を境にした二つの時代、あるいは富国強兵や北海道開拓と連動している国家神道の強大さと民衆の呻き苦しみ、といった様々な対照関係も含意されているのかも知れない。」
そういえば旭川は、東京、西京(京都)、南京(奈良)と並んで、明治時代には日本の国の北の都として「北京」と名図けられる構想もあった本当の意味での北の都である。
森下辰衛氏に引っ張られながら、ヨーロッパトウヒの植樹されている場所まで歩いてきた。
7月21日の日の昼下がり、夏枝と村井の不倫まがいの逢瀬に続いて、小説の隠された真の中心であるルリ子と佐石土雄の悲劇的事件が起こるのである。
まるで作りつけたように不動と見えた輝く雲のように幸せな病院長一家の娘ルリ子と、関東大震災以降の日本が通った全ての悲惨を背負わされ地を這ってきたような佐石土雄が、華やかで晴れやかな地域の祭りが進行している中で、日本の中の両極端である光と闇の世界を象徴するように出会い、悪夢のような悲劇が起こった。
北海道の開拓を底辺で進めたタコで、召集されてからは中国大陸で残虐行為をした兵士でもあった佐石土雄の手が、瑠璃のように美しくもこわれやすい少女のいのちの首をしめ、氷点の世界がここに誕生したのである。
ルリ子が首を絞められて殺され、陽子が自殺を図った美瑛川の河原までは行く気も無くなって、代わりに「見本林」の中に咲いていた、三浦綾子の魂の化身のようなイヌダテ(佐渡ではアカマンマと言い、ままごと遊びの赤飯となる。)を見て、三浦綾子記念文学館まで戻った。
赤□Bの位置が三浦綾子記念文学館である。
文学館の正面入口の自然木に掲げられているのは「自然休養林」、「外国樹種見本林」、「国有林・林野庁」、さらに「ようこそ 三浦綾子記念文学館」の案内板である。
駐車場の脇には「見本林」の碑がある。
見本林は氷点の中では辻口家と並んで最も重要な場所で、明治31年にストローブマツ、ヨーロッパカラマツ、ヨーロッパアカマツ、ヨーロッパトウヒの四種類の苗木を植えたのが始まりで、現在50種類の木があり北海道で最も古い外国樹種人工植栽地である。
道を挟んだ隣りには「氷点」の碑がある。
この碑には、「氷点」の冒頭部分が書いてある。
「風は全くない。東の空に入道雲が、高く陽に輝やいて、つくりつけたように動かない。
ストローブ松の林の影が、くっきりと地に濃く短かかった。その影が生あるもののように、くろぐろと不気味に息づいて見える。」
この碑には、ここまでしか書かれていないが、その後はこう続いている。
「旭川市郊外、神楽町のこの松林のすぐ傍らに和、洋館から成る辻口病院長邸が、ひっそりと建っていた。近所には、かぞえるほどの家もない。遠くで祭りの五段雷が鳴った。昭和二十一年七月二十一日、夏祭りの日のひる下がりである。」
この小説「氷点」の冒頭部分に関して、興味を惹かれるブログがあったので、それを引用しながら「見本林」を歩いて行く。
ブログを書かれた方は、三浦綾子読書会代表で三浦綾子記念文学館特別研究員でもある森下辰衛氏である。
氏は1962年岡山県生まれで1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義し、2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰して、2011年秋より三浦綾子読書会代表となった。
2006年に家族とともに「氷点」の舞台である旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となった。
2007年に教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
これから氏のブログを引用していく。
「氷点冒頭はなぜ1946(昭和21)年7月21日と決められたのでしょう。戦後間もなくである必要はあったと思いますが、エッセイや年表を見ても堀田綾子にとって特別な日ではなかったように思えます。この年3月末に教員を辞職し6月から結核療養のため白雲荘(市中心部10条11丁目)に入所中でした。彼女の心が淋しさで凍えてしまう〈氷点〉の時期であったことは確かですが、物語の冒頭を7月21日と決めたのは上川神社の夏祭りに合わせるためだった考えられます。・・・・・・・」
小説冒頭で「昭和二十一年七月二十一日、夏祭りの日のひる下がりである。」と紹介されている上川神社の夏祭りだが、昭和二十一年七月二十一日はカレンダーを見ると日曜日である。
華やかで晴れやかな地域の祭りが進行している中で、物語は想像をはるかに超える事件で始まりを告げるのである。
小説の冒頭部分を頭に浮かべながら堤防まで歩いたが、堤防上の道はどこまでも真っすぐと伸びていて、まるで小説のヒロインである陽子の心のような道だと思った。
森下辰衛氏はさらに書き進めていく。
「冒頭の光と影、輝く天の雲と地に濃く短くうごめく樹木の影が、辻口家のひいてはすべての人間の二面性を表わしているという読みは問題なかろうと思うが、他方でそこに旭川、北海道、そして日本の光と影、敗戦を境にした二つの時代、あるいは富国強兵や北海道開拓と連動している国家神道の強大さと民衆の呻き苦しみ、といった様々な対照関係も含意されているのかも知れない。」
そういえば旭川は、東京、西京(京都)、南京(奈良)と並んで、明治時代には日本の国の北の都として「北京」と名図けられる構想もあった本当の意味での北の都である。
森下辰衛氏に引っ張られながら、ヨーロッパトウヒの植樹されている場所まで歩いてきた。
7月21日の日の昼下がり、夏枝と村井の不倫まがいの逢瀬に続いて、小説の隠された真の中心であるルリ子と佐石土雄の悲劇的事件が起こるのである。
まるで作りつけたように不動と見えた輝く雲のように幸せな病院長一家の娘ルリ子と、関東大震災以降の日本が通った全ての悲惨を背負わされ地を這ってきたような佐石土雄が、華やかで晴れやかな地域の祭りが進行している中で、日本の中の両極端である光と闇の世界を象徴するように出会い、悪夢のような悲劇が起こった。
北海道の開拓を底辺で進めたタコで、召集されてからは中国大陸で残虐行為をした兵士でもあった佐石土雄の手が、瑠璃のように美しくもこわれやすい少女のいのちの首をしめ、氷点の世界がここに誕生したのである。
ルリ子が首を絞められて殺され、陽子が自殺を図った美瑛川の河原までは行く気も無くなって、代わりに「見本林」の中に咲いていた、三浦綾子の魂の化身のようなイヌダテ(佐渡ではアカマンマと言い、ままごと遊びの赤飯となる。)を見て、三浦綾子記念文学館まで戻った。
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