横浜散歩 その13 氷川丸 

 赤レンガ倉庫で横浜散歩を終えるつもりだったが、赤レンガ倉庫のある新港地区と山下公園とを結ぶ遊歩道山下臨港線プロムナードが目の前にあったので、この道を歩いて氷川丸の停泊している地点まで行ってみることにした。
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 赤←の地点が赤レンガ倉庫のある新港地区で、赤☆印の場所が氷川丸の停泊している地点である。
 遊歩道山下臨港線プロムナードは過去の国鉄山下臨港線跡を流用して建造されたもので、横浜税関付近から大さん橋入口を経て、山下公園西端を結ぶ500mほどの遊歩道である。

 遊歩道の大半が線路の高架橋部分を流用して造営されているため、大半の部分が高架となっており、大さん橋と山下公園の付近では設置された階段やスロープから遊歩道へ出入りすることになる。
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 この道上から歩いて来た方向を振り返ると、大桟橋を前景に、写真中央に赤レンガ倉庫が見えている。
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 そして前を向くとこんな光景が広がり、国鉄山下臨港線の線路の高架橋部分を流用して造営されているのがすぐに理解できる。
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 それにしても、こんな光景が氷川丸の接岸停泊している地点まで続いているというのだから、開港五港となった横浜を散歩するのは面白い。
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 そしてどうやら、氷川丸が前方に見えてきた。

 氷川丸の名前の由来は埼玉県の氷川神社で、日本郵船の社船として昭和5年(1930)に竣工し、戦前、戦後を通じて北太平洋を238回横断し、延べ2万5000人を運んだ船である。
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 デジカメをアップにすると、更に氷川丸の全貌が見えてくるが、船は昭和36年(1961)にここ山下公園内の港に永久繋留された。
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 遊歩道山下臨港線プロムナードを降りて、氷川丸が接岸停泊している地点まで来たが、やはり目の前で見る氷川丸の迫力は相当なものである。

 豪華客船として運航されていた際には秩父宮殿下妃殿下や世界の喜劇王チャールズ・チャップリン、柔道の父嘉納治五郎などの著名人が乗船され、豪華な食事と行き届いたサービスは大変好評だったようである。

 戦争が激化すると海軍省に徴用されて外装を改装し病院船となり、終戦後は引揚船となった。

 歴代の船長以下乗組員は大宮まで参拝するのが習わしで、戦争が始まってからは南方から持ち帰った砂糖など珍しい物資も度々献納され、安全祈願祭が行われており、また昭和17年の航海中には8月1日に船中で氷川神社の大祭を祝うお祭りが行われた。
 戦後は再びシアトル航路へ復帰、1960年引退し、現在のように山下公園前に係留され翌年から一般公開されるようになった。
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 氷川丸は数々の危機を乗り越えた事から強運の船と言われ、実働30年で平成23年に横浜に係留され、現在では艦齢100歳を超した。

 日本の近代化遺産、また平和の象徴としての氷川丸の勇姿を最後に、「横浜散歩」をこれで終える。

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