奈良大和路散歩(2016年の旅) その41 多武峯線で談山神社まで

長谷寺発12時13分の電車に乗り、12時19分に桜井駅に到着した。

この駅で30分ほど待って、談山神社に向かう桜井市のコミュニティバスに乗るのである。


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この桜井駅南口で適当に時間を潰しながら、多武峯線(終点が談山神社)のバスをのんびりと待った。

今までの街道をゆく旅は、ほとんどが自家用車での旅だったので、電車やバスの時間に合わせながらの旅は慣れて無く、今のところは苦手と言っていい。

奈良の旅は東京など交通網の発達している大都市と違い、特にバスのローカル線となると30分に1回とか1時間に1回とかの発着となるので、それに合わせて急いだりのんびりしたりという繰り返しとなる。

12時50分発の多武峯線バスがようやく来て、ほとんど乗客がいないバスに20分以上乗って、かなり山の中にある終点の談山神社に時刻表から5分ほど遅れて到着した。


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談山神社は桜井市の日光と呼ばれているとバス待ちの時の世間話の中でおばちゃんたちが話していたが、朱に塗った派手な神社の伽藍と今が見頃の新緑が織りなす風景が、神社のどこにいっても絶景を造っていて、なるほど日光と呼ばれてもおかしくないと感じた。

談山神社は桜井市の多武峰(とうのみね)にある神社で、祭神は中臣鎌足、桜と紅葉の名所として有名である。


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談山神社の伽藍配置はこのようになっており、ほとんどの建物は重文となっている。

神仏分離以前は寺院であり、多武峯妙楽寺であった。

寺伝によると藤原氏の祖である中臣鎌足の死後の678年、鎌足の長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが寺の発祥という。


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神廟拝所の横から見ると、新緑の中に古色を帯びた十三重塔が存在感を見せて、すっきりと建っていた。


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近くに寄ってみると、やはりあたりを圧倒するほど美しい。

わが国では木造多重塔婆は三、五、七、九、十三重の5種類が造られたが、現在残っているのは三、五、十三重の三種類で、この塔は現存する唯一の木造十三重塔婆である。


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拝殿下から見上げての眺めも、なかなか見応えがある。

拝殿の由来だが、680年に講堂(現在の拝殿)が創建され、そこを妙楽寺と号したという。


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拝殿に上がって拝殿から外を見ると、ここの風景も時間を忘れるほど美しく、花の頃や紅葉の頃はどんなだろうかと、清少納言ふうにしばらく見入ってしまった。

ところで談山の名の由来だが、中臣鎌足と中大兄皇子が、645年5月に大化の改新の談合をこの多武峰で行い、後に談い山(かたらいやま;談所ヶ森)と呼んだことによる。

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