2012年に旅したオホーツク街道の続き その42 井上靖通り
これから、井上靖記念館から少し離れた井上靖通りまで歩いて行く。
井上靖通りは、陸上自衛隊旭川駐屯地の裏手の青色で示した通りである。
井上靖通りは、旧陸軍兵舎間の防火策のため広い幅員となっていた境界道路の春光大通りを生かして整備を行ったもので、旭川市で誕生した井上靖の誕生地に近いことから、こういう名称となっている。
通りには春、夏、秋、冬の季節に合わせて、せせらぎ水路、噴水を設けた夏の広場や築山を配した冬の広場がある。
季節の配置はこんなで、四季をイメージした施設や樹木が植えられている。
樹木が両端に綺麗に植えられている舗装道路の真ん中を歩いて行くと、遠くに石碑が見えた。
近くに寄ってみると、井上靖夫人のふみさんの書かれた「靖と旭川」の石碑である。
碑に書かれた一部を紹介する。
「大雪連峰をはるか右に見ながら、ゆるやかな丘陵地帯を車で走っている時であった。『ここまで来ると広くていいな』と靖は言った。昭和54年11月『僕が生まれたのはどんな所か行って見ようよ』と私も同行した旭川であった。もう雪が降っていて、街路樹のナナカマドの実が雪を被って美しかった。
靖は旭川には数回来てはいるが、いつも仕事で、自分の誕生の地などゆっくり見ている時はなかった。私と見に来た時は、靖が生まれたのはこの家であろうと、説明された。小さな古い官舎がまだ幾棟か建ち並んでいた。・・・・・・・」
もう少し歩くと、井上靖通りの噴水脇に、井上靖文学碑があった。

この碑には井上靖の「幼なき日のこと」から抜粋した一部分が刻まれていた。
「自分が五月に生まれたということも、幼少時代の私にはすばらしいことのように思われた。母が時に五月の旭川の、百花が一時に開く美しさを語るのを聞いたりすると、私は誰よりも恵まれた出生を持っていると思った。寒い間、母の腹中にぬくぬくと仕舞われてあり、雪がとけ、春の明るい陽光が降り始めると、私は母の腹中から飛び出したのである。」
井上靖通りには、井上靖関連の碑はこの二つしかないが、旭川には旭川百年記念協賛事業として旭川信金が自社横に井上靖詩碑文を建立しているので紹介する。

「私は十七歳の、この町で生まれ、いま、百歳の、この町を歩く。すべては、大きく変ったが、ただ一つ、変らぬものありとすれば、それは、雪をかぶったナナカマドの、あの赤い実の洋燈。一歩、一歩、その汚れなき光に、足許を照らされて行く。現実と夢幻が、このように、ぴったりと、調和した例を知らない。ああ、北の王都、旭川の、常に天を望む、凛乎たる詩精神。それを縁どる、雪をかぶったナナカマドの、あの赤い実の洋燈」
この碑は平成2年9月19日に、旭川信金横に建立された。
井上靖の旭川は、靖の美しい思い出として永遠の時を生きているようであるが、次回からは舞台を伊豆に変えて、少年時代の井上靖に迫ってみたい。
井上靖通りは、陸上自衛隊旭川駐屯地の裏手の青色で示した通りである。
井上靖通りは、旧陸軍兵舎間の防火策のため広い幅員となっていた境界道路の春光大通りを生かして整備を行ったもので、旭川市で誕生した井上靖の誕生地に近いことから、こういう名称となっている。
通りには春、夏、秋、冬の季節に合わせて、せせらぎ水路、噴水を設けた夏の広場や築山を配した冬の広場がある。
季節の配置はこんなで、四季をイメージした施設や樹木が植えられている。
樹木が両端に綺麗に植えられている舗装道路の真ん中を歩いて行くと、遠くに石碑が見えた。
近くに寄ってみると、井上靖夫人のふみさんの書かれた「靖と旭川」の石碑である。
碑に書かれた一部を紹介する。
「大雪連峰をはるか右に見ながら、ゆるやかな丘陵地帯を車で走っている時であった。『ここまで来ると広くていいな』と靖は言った。昭和54年11月『僕が生まれたのはどんな所か行って見ようよ』と私も同行した旭川であった。もう雪が降っていて、街路樹のナナカマドの実が雪を被って美しかった。
靖は旭川には数回来てはいるが、いつも仕事で、自分の誕生の地などゆっくり見ている時はなかった。私と見に来た時は、靖が生まれたのはこの家であろうと、説明された。小さな古い官舎がまだ幾棟か建ち並んでいた。・・・・・・・」
もう少し歩くと、井上靖通りの噴水脇に、井上靖文学碑があった。

この碑には井上靖の「幼なき日のこと」から抜粋した一部分が刻まれていた。
「自分が五月に生まれたということも、幼少時代の私にはすばらしいことのように思われた。母が時に五月の旭川の、百花が一時に開く美しさを語るのを聞いたりすると、私は誰よりも恵まれた出生を持っていると思った。寒い間、母の腹中にぬくぬくと仕舞われてあり、雪がとけ、春の明るい陽光が降り始めると、私は母の腹中から飛び出したのである。」
井上靖通りには、井上靖関連の碑はこの二つしかないが、旭川には旭川百年記念協賛事業として旭川信金が自社横に井上靖詩碑文を建立しているので紹介する。

「私は十七歳の、この町で生まれ、いま、百歳の、この町を歩く。すべては、大きく変ったが、ただ一つ、変らぬものありとすれば、それは、雪をかぶったナナカマドの、あの赤い実の洋燈。一歩、一歩、その汚れなき光に、足許を照らされて行く。現実と夢幻が、このように、ぴったりと、調和した例を知らない。ああ、北の王都、旭川の、常に天を望む、凛乎たる詩精神。それを縁どる、雪をかぶったナナカマドの、あの赤い実の洋燈」
この碑は平成2年9月19日に、旭川信金横に建立された。
井上靖の旭川は、靖の美しい思い出として永遠の時を生きているようであるが、次回からは舞台を伊豆に変えて、少年時代の井上靖に迫ってみたい。
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