「街道をゆく」で出会った「日本を代表する人物」 その13 台湾紀行 「場所の悲哀」
この辺で故宮博物院を後にするが、台湾人にとって台湾がどういう国であるか、真摯に考えてみたい。
司馬遼太郎は「街道をゆく 台湾紀行」の巻末に、蒋介石の息子で台湾総統だった蒋経国の後を引き継ぎ、1988年から2000年まで10年以上に渡って、はじめて本島人出身の身で台湾総統となった李登輝総統との対談を掲載している。
対談の名前は「場所の悲哀」。
李登輝総統夫妻の会話の中から生まれた言葉だという。
生まれる場所はまさに神が決めることで、そうでなかったら、こんな難しい国に誰も生まれたくなかっただろう。
台湾という中国大陸の福建省や広東省からのボートビープルと原住民で出来ていた無主の島(独立国となった歴史さえ持たない。)は歴史に翻弄され、あるときは清にあるときは日本の支配下に置かれた。
第二次世界大戦終了後、突如中華民国(蒋介石一派)が中国本土から逃げてきて、この島を占領した。
蒋介石・蒋経国時代は、台湾は戒厳令下で、台湾に生まれた人々は理由もなく、国家から襲われる危険に怯えていた。
台湾が李登輝を総統に持った時代は、地球規模での冷戦終結が始まった時代でもあった。
ベルリンの壁は崩壊し、ソ連は解体し、東西二極対立の時代は終わった。
しかし、引き続き台湾問題は存在する。
台湾が李登輝を総統に持った時代は、地球規模での冷戦終結が始まった時代でもあった。
ベルリンの壁は崩壊し、ソ連は解体し、東西二極対立の時代は終わった。
しかし、引き続き台湾問題は存在する。
台湾問題とは、中華民国が実効統治している台湾の政治的地位および主権帰属に関する中華人民
共和国と中華民国の政治問題で、中台間では両岸問題の呼称が用いられている。
中華人民共和国政府は「一つの中国」原則を主張し、二重承認を絶対に認めない立場を取っている。
台湾国旗
台湾当局は李登輝が総統に就任した後、中華人民共和国とは別個の国家としての「中華民国」の地位を明確化しようとし、二重承認を容認する動きも見られた。
しかし今日、二重承認は実現せず、台湾を承認する国は年々減少しているのが実態。
中華民国(台湾)の基本的考え方
台湾移転後も国民政府(戒厳令下の国民党政権)は、「中国を代表する正統な国家」としての立場を継承する立場にあることを主張。
国民政府が台湾地域のみを統治することを内戦中の一時的な措置とした上で、台湾を含めた全中国の領有権を主張。
台湾国花「梅の花」
また、自由地区(台湾を指す)のみによる選挙の実施は全中国の代表性を損なうと主張し、民主化運動を法理独立と見做し、弾圧した。
李登輝政権は戒厳令を解除し、中華民国が中国大陸を実効支配していない事や中華人民共和国政府への対応を始めた。
国家統一委員会の設置、それによる国家統一綱領の制定、さらに中華民国憲法の改正により、「自由地区」(台湾)における国政選挙の実施を行った。
中国大陸を「大陸地区」と呼称、外国として認めておらず、今日まで中華人民共和国を正式に承認していない。
国民政府の一つの中国原則では、外モンゴルの領有も主張しており、現在のモンゴル国とも正式な外交関係はない。
中華人民共和国民国の基本的考え方
中華人民共和国政府は、自国が1949年に崩壊・消滅した中華民国の継承国家であり、「中国を代表する正統な国家」としての立場を中華民国から引き継いだ立場にあるとしており、そこから1945年に中華民国の領土に編入された台湾の最終帰属も、中華民国の立場を継承した中華人民共和国に継承されると主張してきた。
その為、中華人民共和国は、名目的に台湾省を設置する事で自己の主張の正当化を図り、併せて蒋介石によって台湾へ移転された現在の中華民国政府のことを、「崩壊した中華民国政府(国民政府)の一部勢力が台湾を不法占領して樹立した非正統的な政府」として、その存在の正統性を否定してきた。
台湾問題の本質は、台湾人にとって一番重要なことは「台湾は台湾人のものでなければならない」、これは司馬遼太郎も李登輝も一致した基本的な考え方である。
問題の解決は国民政府の立場や中華人民共和国民国政府の立場をどうするかではなく、「台湾に住んでいる主人公の台湾人のためには何が必要で何が重要なことか」である。
このことを抜きにして、台湾問題は語れない。
住民の側からすると、最初に住民ありきであって、国家の都合によって勝手に編入されたり分断されたりしては、住んでいるものからすればたまったものではない。
司馬は対談の中でチベットや内蒙古を例に出し、そこに実際に住んでいる住民の苦痛を述べている。
さらに国家には適正なサイズがあると述べ、その適正規模はせいぜいフランスくらい、ちょうど四川省と同じサイズだという。
北京の一つの政府だけでヨーヨッパ全体より広いところをコントロールするのには無理があり、やれば粗暴な国内帝国主義になると述べた。
李登輝はこう語る。
いままで台湾の権力を握ってきたのは全部外来政権、国民党にしても外来政権、台湾人を治めにやってきただけ、これを台湾人のための国民党にしなければならない。
外省人の人たちも同じ漢民族、台湾に早く来たか遅く来たかの違いだけ、一緒に台湾人のためにやればいい。
対談の最後に、司馬は河井継之助を登場させている。
河井継之助は新しい国家の青写真を持った唯一の人だったが、時代の暴力的な流れに押し流されてしまった。
台湾の運命がそうならないよう、むしろ台湾が人類のモデルになるようにと、書きながら思っていたと書いて、対談を締めくくっている。
本省人(台湾で生まれた台湾人)も外省人(中国で生まれた台湾人)も、先祖は故宮博物院の宝物群を生み出した漢民族である。
故宮博物院を去るにあたり、漢民族文化が生んだ宝物群を収蔵する宝物殿を今一度振り返った。
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