耽羅紀行(済州島の旅) その41 そして済州島の旅の終わり
済州島の旅も、今回で最後とする。
最終回は、世界自然遺産である万丈窟を探険しながら、巫堂(ムーダン)の話で締めたいと考えている。
海女(ヘーニョ)の続きについては、機会があったら他の旅の時に触れたい。
それでは万丈窟へ出発である。
万丈窟は、今から約30万年~10万年前に形成された世界最長の溶岩洞窟で、全長約7.4km、洞窟内の通路幅は18m、高さは23mにも達する大規模な洞窟。
午後2時頃に万丈窟に到着、ここが万丈窟の第2入口で、ここから入口から約1km区間が一般公開されている。
ここからは巫堂(ムーダン)の世界も紹介しながら進んで行く。
それではゆっくりと用心深く、巫堂の取り扱う鬼(死者の霊)の住む地下の世界に入る。
階段を降りて、地下の世界に到着、これから暗い暗い洞窟の中を進んで行く。
巫堂は学問的にはシャーマンのことである。
シャーマンの信仰する原始宗教であるシャーマニズムは、はるかな古代、シベリアのツングース種族からおこった。
地域的には極東シベリア、モンゴル、満州、韓国、日本などであり、シャーマニズムという憑き物の憑依する異常な精神転換をおこす。
生まれつき「極北ヒステリー」と命名される精神体質を持つ者がシャーマンとなるが、韓国ではムーダンと呼ばれ、済州島ではシンパン(神房)と呼ばれ、日本では巫女と呼ばれている。
面白くも何ともない暗闇の世界を進んでいるが、鬼(死者の霊)に憑依されるような気もしてくる。
いま日本では巫女と呼ばれるシャーマンは青森県の恐山にいるイタコだけであるが、明治以前の日本では、巫女は世襲として営々と営まれ、どこにでもいた。
済州島は、日本では途絶えた鬼神に仕えるシャーマンが、シンパンという名で根強く残っていて、済州島民の日常生活の精神的な支えとなっているという。
洞窟の中でようやく灯りが見えて、人だかりもしていて、萬丈窟の名物である済州島の形に似たカメ岩に到着、洞窟の天井から溶流に落ちた落盤が固まってできた岩石の塊である。
万丈窟は、海抜454mで比較的小規模の火山「拒文(コムン)オルム」から噴出した溶岩が海岸まで流れる過程で形成された「拒文オルム溶岩洞窟系」と呼ばれる洞窟群の1つで、拒文オルム溶岩洞窟系は、他にも金寧窟、龍泉洞窟、ベンディ窟などがあるという。
済州島の地下はどうやら地下洞窟の迷宮となっているようだ。
この後溶岩棚を見て、なおも奥の方へ進んだが、引き返したい気持ちを我慢して公開区間の最終地点にある溶岩石柱まで辿りついた。
この石柱は高さが7.6mで、世界最大規模だというが、写真を撮影するとすぐに帰路に向かった。
30〜40分程薄気味の悪い地の底を歩いて、ようやく地上の明かりの見える場所に戻ってきた。
シャーマンならば、死者の憑依によりお告げのような言葉を聞いたところだが、どうもそういう資質は僕には無く、このままなんとか無事に済州島の旅を終えることが出来そうである。
そして、無事光あふれる地上に生還である。
李氏朝鮮の時代は、奴婢を含め幾つもの賎民階級を作っていたが、聖職者と呼ばれるべき仏教の僧侶やシャーマン(ムーダンやシンパン)も賤民階級だった。
儒教社会はそういう社会であるが、文化人類学者の手により近年クツ(除霊招福のための宗教儀礼)が韓国固有の無形文化財として保護され、シャーマンは馬鹿にされる存在ではなくなったという。
済州島の旅の全行程が、この洞窟からの生還で無事終了した。
泉誠一がアンデスを捨て、恋人の元へ帰るように帰って行った済州島にどうしても行ってみたかったが、たった3日間の旅なので、人生の3分の1の時間を朝鮮半島で過ごした泉誠一のような訳にはいかなかった。
今回の済州島の旅はここで終わりとしたい。
追記
セオル号事件もあり、飛行機が成田に着くまで、実はかなり心配な旅だった。
飛行機の中では別れて座ったKさんと荷物到着ロビーで再会、いろいろ親切にしていただいたお礼として、済州空港で買った蜜柑チョコレートを差し上げたが、彼女は喜んで受け取ってくれた。
Kさん、またどこかでお会いして、楽しい旅をしましょう。
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