思い出の中の川 第5回 仙見川

 第5回は仙見川である。
 「どうせ人生歩くなら、旅するように人生を歩いてみたい」 とロシアを旅した学生の頃から思っていたが、その思いが実際に実現するのは、スバルレオーネツーリングワゴン1800STを手に入れた時からである。
10
 この車を購入したのは昭和62年のこと、西暦で直せば1987年の7月のことだったと記憶している。 
 車の名もツーリングワゴン、まさに旅する人生に相応しく思えて、迷うことなくこの車を買った。
 釣り師は35歳になっていた。
 若いころからテニスやスキーで遊んできたが、テレビのコマーシャルの中で「スバルレオーネツーリングワゴンに釣り道具を積み、美しい渓流でカッコよく釣りをするワンシーン」を何度か見て、すっかり渓流とツーリングワゴンに魅せられ、それから「この車を買って渓流に出かけ、渓流釣りをすること」が、釣り師の人生の目的の一つになった。
20
 渓流釣りの雑誌も買ったが、ほとんどが源流釣行を目的とした雑誌で、雑誌のタイトルは「源流行」「続源流行」のようなものばかりだった。 
 山女釣りは最初から眼中になく、渓流釣りと言えば源流での岩魚釣りと思っていた。 
 目的が初めて達成されたのは車を買った翌年の昭和63年(1988年)5月6日のことで、最初に出かけた渓流が「続源流行」に紹介されていた仙見川だった。
30
 ところがこの仙見川は、アブ、ブヨ、ヒル、マムシ、スズメバチなどが特に夏季に大量発生し、時には熊までも出るという非常に危険な川として有名で、ベテラン向きの上級の渓流を全くの初心者が最初の川として選んだのは、今考えればとんでもない間違いだった。 
 初心者向きでない仙見川に、その日から平成元年5月28日まで(ほぼゴールデンウィーク中)、他の川にはまったく見向きもせずに連続7回もかよった。
40
 仙見川に行く時には、必ず護身用に鉈を携帯して歩いた。 
 ヒルやスズメバチはほぼ眼中になく、この辺りの山中に生息している熊を強く意識しての行動で、渓流と言えば熊は付き物だと最初から勝手に思っていた。 
 三十代で若かったし、鉈で何とかなると思っていたのは確かで、それでも毎回おっかなびっくりの釣行だった。 
 今行っている関川村の女川や大石川から見ると、仙見川は源流の岩魚釣り場と言った方がいいような川で、初心者が行くような川ではなかったと今では確信している。 
 仙見川の渓流地図を、ここで紹介する。
50
 比較的入りやすい夏針や門原では、山菜のコゴミをよく採った。 
 初めて岩魚を釣ったのは門原で、奇跡が起こったのか単なる偶然だったのか、とにかく天は釣り師に25cmの岩魚を恵んでくれた。 
 門原から車止めまでは山菜が豊富で、ゼンマイ以外のコゴメやミズナやワラビは、連休中になるとほぼこの辺りから採った。
60
 車止めから仙見川と赤倉川の分岐点まで歩いて1時間ほどで、この二つの川の出合いのプールが岩魚の溜まり場となっていて、仙見川で釣った岩魚の半分はこのポイントから出た。 
 赤倉川を20分程歩くとゼンマイの密集している場所があって、ここでディバッグいっぱいのゼンマイを何回も採って持ち帰ってきたことが、懐かしい思い出として記憶に濃厚に残っている。 
 渓流釣りを始めてから7回までの初心者釣行の間に4匹の岩魚がまぐれで釣れたが、最長の大きさは25cm止まりである。 
 一方、ハイトコントロール付きで20cmの車高を保って山道を走れるレオーネツーリングワゴンを操って、仙見渓谷の奥深くにまで歩いて入りこんで採って来たゼンマイやワラビやコゴミなどは、わが家の連休の食卓を毎年賑わした。
113_1381
 特に5月のゴールデンウィークの際はゼンマイ採りを5~6年の間やっていたので、庭の片隅にゴザを敷いてゼンマイを干すのが我が家の年中行事となった。 
 山北の山熊田に行って現地のゼンマイ干しを見る前に、すでに我が家は山村の日常風景を自宅でやっていたことになる。 
 釣り師の渓流人生は源流の岩魚釣り場という印象が強い仙見川から始まったが、実際この川では大した岩魚も釣れず、実態はほとんどゼンマイなどの山菜取りが主な目的のような、そんな釣行となっていた。

この記事へのコメント