九州散歩Ⅰ その43 岬のマリア

 「お告げのマリア修道会」神ノ島修道院は、神の島教会堂と同じようなロケーションの場所に建っているが、アクセスはずいぶん楽である。
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 目の前の階段をのぼって、お告げのマリア修道会神ノ島修道院まで行く。
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 神ノ島修道院の敷地内を歩いて、施設の外観などを見ていく。
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 ここにドミニコ・サヴィオの像が建てられていた。

 ドミニコ・サヴィオは1842年4月2日にイタリアのリーヴァ・プレッソ・キエーリで生まれ、サレジオ会創立者のヨハネ・ボスコの生徒で、司祭になる為に学んでいた。

 しかし、病気(恐らく胸膜炎)により14歳で死去するが、師であるヨハネ・ボスコは、生徒である彼に対して非常に敬意を払い、伝記「ドミニコ・サヴィオの生涯を著した。

 ドミニコ・サヴィオはマリア・ゴレッティやリヨンのポンティクスを含む年齢層の中で、殉教ではなく聖徳であると見做される生活を送ったことにより聖人であると宣言された唯一の人物である。
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 なお、ここには平戸ザビエル記念教会でも見た、フランスのルルドの泉を模した「ルルド」が敷地内に建設されていた。

 ルルドについては、平戸で紹介しているのでここでは省略する。
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 なおここからは福田浦の絶景を背景に、これから行く岬のマリアが遠くに見える。
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 福田浦神ノ島地区の全体写真であるが、黄☆がカトリック神の島教会で、黄⇓が岬のマリア、背景の港が福田浦である。

 平戸を追われたポルトガル船が、横瀬の次にこの福田湾に入ってきたのである。
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 その船を狙って平戸の松浦隆信がここを襲撃したが、ポルトガル船は1隻でよく戦い、被害はほとんどなかったと記録に記されていると、司馬さんは「街道をゆく」の中で記している。

 福田に貿易とキリシタンの基地が築かれてから、千人の信徒がここに住んだという。

 横瀬浦からきた信者もいたし、平戸からきたものもいたであろう。
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 岬のマリア直近までアクセスして、マリアを眺めているが、実際はこんな場所に建っている。
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 岩の上に上がってみると、マリア像は実に大きい。

 ザビエル渡来400年を記念して、1948(昭和23)年に、1.7mの聖母像が建てられたが、現在の4.7mの聖母像は、1984(昭和59)年に建てられた2代目の像である。

 福田浦の入口で岩の上から航海の安全を見守っているという。

 しかし、福田浦は実際には良港とは言い難く、ここに駐在した神父フィゲレードはもっといい港はないかと思い、何人かの同行者と航海士を連れて稲佐山の沿岸を歩いて、ついに湾の奥に長崎という好錨地があることを発見するのである。

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