ジュンチャンと世界を巡る 第44回はスペイン
今回から三回スペインを旅しますが、この国はスペインを愛した日本人から紹介してもらうことにします。
その人の名は俳優の天本英世です。
彼は戦争末期を生き延び、終戦後に東大法学部を中退し、俳優になりました。
天本がスペインに傾倒するきっかけとなったのは音楽で、少年の頃よりクラシック音楽に馴染み、やがて民族族音楽へと入っていき、スペインのフラメンコに出会ったのです。
天本は、フラメンコに熱中し、それをきっかけに二十数回もスペインを訪れました。
フラメンコの根源である「カンテ・ホンド」のテーマは、ほとんどが「死」で、フラメンコから感じられる情熱は「死」に対する情熱、「死」の裏側には「生」があり、フラメンコの情熱は「死」と「生」への情熱となるのです。
また、スペインといえば闘牛の国ですが、闘牛も「死」がテーマで、スペイン人は牛と人間の死を賭けた戦い、「死の儀式」を見にいくのです。
スペイン人の別れのあいさつで、「アスタ・マニャーナ、シ・ディオス・キエレ」というのがありますが、「明日も生きていたら、明日また会いましょう」という意味で、「明日というものは、確実にくるものではない、人間の未来は永遠ではない、人生というのははかないものだから今日を精いっぱい楽しんで生きよう」とする、スペイン人の人生観が表現されています。
フラメンコは迫害を受けたジプシーがその生の苦しみを叫ぶもので、スペイン人は苦しみを味わう中で生を楽しむのです。
やがて天本は、民衆に支持され多彩な才能を開花させながら、フランコ独裁政権により38歳の若さで銃殺された悲運の詩人フエデリーコ・ガルシア・ロルカを知り、その美しい詩に傾倒していくのです。
ロルカの詩を通じ、現代の日本人への警告と、死の裏にある生の素晴らしさ、今日を懸命に生きる大切さを訴えてゆく活動は、天本の死の直前まで続けられました。
「私は、スペインで死にたい、二十数回も訪ねて歩きまわった大好きなスペインで死にたい、 スペインの中で一番数多く訪れた、アンダルシアで死にたい。 」「アンダルシアの北、ドンキホーテのラマンチャ地方を下り、アンダルシアの入口の東に、カッソーラという小さな美しい町がある。 山に雪を項いた、美しい小さな町がある。 町をさらに山へ入ったところに、グワダルキビール川の最初の一滴という名のついた、水の涌いている地点がある。
もしも私が日本で死んだなら、その源に、私の灰を撒いてほしい。」という彼の願いは、2005年10月25日、遺族と日本とスペインの友人達の手で、カッソーラの山深く、グワダルキビール川源流より撒かれました。
きっと彼の魂は、今もなおロルカの詩を口ずさみながらスペインを巡る旅を続けていることでしょう。
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