2012年に旅したオホーツク街道の続き その45 小樽到着

 続オホーツク街道の旅は、旭川から札幌を経由して小樽へ向かうが、小樽で石川啄木の足跡を訪ねて、旅を終えることとする。

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 旭川で宿泊した旭川ターミナルホテルは1泊朝食付き6100円のビジネスホテルで、JR旭川駅のすぐ近くに立地していた。

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 駅舎の向こうには忠別川が流れている。

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 カメラを望遠モードにすると、画面の真ん中には氷点橋が見えていた。

 この写真は2012年7月2日の午前6時半頃撮ったものだが、このあと朝食を食べると、すぐに小樽に向けて出発した。

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 実際のオホーツク街道の旅では、小樽に11時頃に到着し、それから小林多喜二ゆかりの地を訪ねて小樽の街を散策したようだが、その時の記録が全く残っていないので、写真として残っている2011年の天塩川の旅から、小樽で訪ねた石川啄木の足跡を紹介して、旅を終えることとする。

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 この2011年の天塩川の旅の時は、台風の影響で日本海が荒れて帰りのカーフェリーの就航が非常に気になったので、イトウ釣りを二日間かけて楽しむ予定を急きょ変更して、小樽に2泊宿泊することとし、その結果として1日半小樽を散策することが出来、小樽の石川啄木ゆかりの地も訪ねることができたのである。

 イトウ釣りを思いっきり楽しみたかったのだが、台風の前ではいたしかたない。

 2011年の天塩川の写真と資料をもとに、これから「石川啄木 小樽の旅」を始めることとする。

 石川啄木は、1907年5月に北海道の函館に移り住み、9月には単身で札幌の北門新報社に入ったが、1907年9月27日に北門新報社を辞して小樽の小樽日報社に入社した。

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 それから翌年1908年1月まで、家族(母・妻子)と小樽に住んでいた。

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 住んでいたのは小樽市花園町14の西澤善太郎方(現た志満)で、11月6日には花園町畑14番地に一家を借りて移転した。

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