探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その5 ハルツーム

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   青ナイルのほとりで


 ナイル河の旅、アブシンベルを南下すれば、そこはスーダンの国となる。

 「スーダン」、アラビア語で「黒い人」を意味する。もともとスーダンは西アフリカから東アフリカに至るまでのサハラ砂漠以南の広い地域を指す地域名称。

 現在のスーダンは、歴史的には東スーダンと呼ばれた地域。


 人口の構成は

① 北部のアラブ系イスラム教徒 75%

② 西部ダルフール地方のアフリカ系(フール人等)イスラム教徒 17%

③ 南部のアフリカ系(ディンカ人)キリスト教徒 8% 

 となる。


 人種的にはスーダンのアラブ系イスラム教徒はネグロイド(黒人)であり、②③の人々と変わりはない。(アラブ人とは、現在はアラビア語を話す人たちのことを言う。)

 スーダンはアフリカの縮図のような国、ここには、貧困や飢餓が日常的にあり、僕等の普段のイメージに似たアフリカの世界が広がる。

 南部にはサッド、地球上で最悪の疫病地帯が広がる。


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   疫病地帯サッド  ↑


 西部にはダルフール、アラブ人による、アフリカ系(フール人等)民族に対する集団殺戮、その結果としての大量の難民の間に広がる貧困と飢餓。


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   ダルフールから隣国へ逃げた母子 ↑


 北部には灼熱地獄のヌビア砂漠、そこには、砂に埋もれた幻の古代黒人王国の廃墟が、永遠に停止した時間の中で、残されたまま存在する。


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   メロエのピラミッド群 ↑




 僕は、この国の首都ハルツームに宿を得た。

 ここを拠点として、東西南北のスーダンに出会う旅が始まる。

 ハルツームはアラビア語でal-Khart??لخرطوم 、意味は象の鼻となる。

 ウガンダから流れる白ナイルとエチオピアから流れる青ナイルの合流地点の南岸にある。


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   白ナイルと青ナイルの合流地点 ↑


 1820年にエジプトのムハンマド・アリー朝による支配の拠点として築かれ、ナイル航路の拠点となり、奴隷貿易の中継地として栄えた。

 人口規模は、近隣の北ハルツームとオムドゥルマンとで都市圏を形成しており、あわせて400万以上の居住者がいる。

 ハルツームは行政や経済の中心地、オムドゥルマンはスーダンの伝統や文化が残る地域。

 やはりオムドゥルマンは歴史的にも興味があり、早速出かけた。


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   赤い地域がオムドゥルマン、ハルツームは右下↑


 この街は1885年、イギリスのスーダン植民地化政策に反対するスーダン独立運動の指導者マフディ(本名ムハンマド・アハマド(Muhammad Ahmad 1844-1885、マフディとは正しい道への導者の意味)が都として建設した街。

 1898年のオムドゥルマンの戦いで、街は戦場となり、スーダンの熱狂的なイスラム教徒(神秘主義的修道僧)であるダルウィーシュ軍は破れ、イギリスの殖民地となった。


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   オムドゥルマンの街、ナイル河合流点が見える ↑


 スーダン最大のスークや、ラクダ市、マフディの墓など、ここには植民地とされても挫けなかった、スーダン人の不屈の魂が宿っているようだった。


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  スーク(アラビア語で市場のこと) ↑




 宿で一晩眠り、翌日、僕は北部のヌビア砂漠に向った。

 このスーダンの北部、ヌビア地方に、紀元前9世紀から紀元後4世紀にかけて、クシュ王国といわれた黒人王国があった。(アイーダの末裔の国、この時代は、黒人がアラブ人を支配した。)


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   ヌビア砂漠に広がるクシュ王国の遺跡地図  ↑


 紀元前8世紀にナイル下流に進出して一時エジプト王朝を滅ぼし、最盛期にはアフリカ大陸の4分の1にも及ぶ強大な王国を築いた。

 当時の都、ジュベル・バルカルの遺跡がスーダン北部のナパタ地方に残されている。


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   ジュベル・バルカルのピラミッド ↑


 その後、紀元前6世紀に南下してきたアッシリアの勢力に破れたクシュ王国は南部のメロエへ都を移す。(長距離バスに乗せてもらって、ここまでは来た。政府の許可証がいるし、写真を撮るのにも一苦労、独裁軍事政権の国は大変。)


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   ロイヤル・シティ(王宮)跡 ↑


 クシュ王国は紀元後4世紀にエチオピアのアクスム王国に滅ぼされるまで繁栄し、王国が残したロイヤル・シティ(王宮)跡やピラミッドなどの遺跡群は2003年にスーダンで初めての世界遺産に登録された。(炎天下での気温は40度を軽く突破、気分は、いい湯だなという訳にはいかず、じっと我慢するのみだった。)


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   北ピラミッド遠景 ↑


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   北ピラミッド近景 ↑




 西へ行くと、そこはダルフール、そして、ダルフール紛争である。

 ダルフール(アラビア語でフール人の国の意味)は幾つかの民族が居住している地域で、大別するとフール人、マサリート、ザガワなどの非アラブ系の諸民族と、バッガーラと呼ばれる13世紀以降にこの地域に移住してきたアラブ系とで構成されている。いずれもムスリムであり、フール人とマサリートは農耕を、ザガワとバッガーラは牧畜を営んでいる。 


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 非アラブ系のフール人等とアラブ系のバッガーラの間には、長年の緊張関係があった。

 ダルフール紛争は、スーダン政府に支援された「ジャンジャウィード」と呼ばれるアラブ系民兵と、非アラブ系フール人達との間に起きている民族紛争である。

 農耕を営む民と牧畜を営む民の間での水を廻る争いに端を発し、この地に埋もれている豊富な石油資源の利権争いなどが絡み、ダルフール紛争は収拾の見込みも立たない、泥沼の様相となって現在も続いている。


 内戦の激化により、ジャンジャウィードによるフール人達に対する殺人、レイプ、略奪が大規模に行なわれ、2003年2月の衝突以降、2006年2月時点での概算で18万人が既に殺害され、その結果、約70万人が国内避難民となり、約20万人が難民となって隣国チャドに逃れた。

 (学校での集団レイプの事例では、女生徒全員を鎖につなぎ、強姦したあと、全員を焼き殺したという事例が報告されている。)


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   難民の仮住まい ↑


 今後大規模な国際的支援がなければ、2年以内にこの地域の3分の1にあたる約200万人が、飢餓と餓死の危機にさらされるだろうと予測されている。


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   病気の赤ん坊に薬を飲ませる母親 ↑




 21世紀初頭のアフリカ、そこでの最悪のヒーローは、やはりバシール=スーダン大統領であろう。(中国の援助で石油開発に熱心)


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   バシール=スーダン大統領(左)と胡錦涛・国家主席(中国)↑

  

 この悪魔が乗り移ったようなスーダンの大統領は、1989年に軍事政権を成立させると人種差別を徹底させ、キリスト教や伝統宗教が普及していた南部にイスラム法を強要、南部の村を空爆し、女性や子供を奴隷化する目的で、スーダン国内で南北戦争を引き起こした。(この内戦で、約100万人強の難民が発生し、約200万人が飢餓や戦闘の犠牲となった。)


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   難民キャンプの少女 ↑


 そして、21世紀にはいると、西部のダルフール紛争の勃発である。スーダン大統領はジャンジャウィードを使い、アフリカ系(フール人等)イスラム教徒を抹殺し出した。

 僕には、75%の多数派アラブ系イスラム教徒が、25%の少数派異民族・異教徒を征服し、スーダンを名実ともにアラブ人の国にしようとしているようにしか見えない。

 現在のスーダンは非常に怖い国である。(僕はこの旅の間に、小便やウンコが出なくなったことが何回かあった。暑い国なのに、冷や汗はしょっちゅうだった。)



みなさん、下記の順位がなんだかわかりますか?


1 位. バシール大統領(スーダン)

2 位. 金正日総書記(北朝鮮)

3 位. セイエド・アリー・ハメネイ(イラン)

4 位. 胡錦涛・国家主席(中国)

5 位. アブドラ国王(サウジアラビア)


 これは、ワシントン・ポスト週末付属誌、「パレイド」が発表した2007年の“最悪独裁者ベストファイブである。


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   友情出演 金正日総書記(北朝鮮)↑



 あの超独裁国家北朝鮮の金正日総書記を押さえて、バシール大統領(スーダン)は2005年度から3年連続、堂々の1位となった。



 そして、問題です。


 あなたが選ぶとしたら、世界最悪独裁者は誰ですか?(これは、ボーナス問題ですので、回答があれば、正解としてハートマークを5つ差し上げます。選んだ理由も書いてね。)

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