ジュンチャンと世界を巡る 第46回はポルトガル
ポルトガルはユーラシア大陸最西端の国家で、ヨーロッパで最初に海路で中国や日本など東アジアとの接触を持ちました。
ヨーロッパでもっとも早く絶対主義を確立したポルトガルは海外進出を積極的に進め、1415年にモロッコ北端の要衝セウタを攻略したのを皮切りに、エンリケ航海王子を中心として海外進出が本格化し、「大航海時代」が始まったのです。
ポルトガルの探検家はモロッコや西アフリカの沿岸部を攻略しながら、アフリカ大陸を西回りに南下していきました。
更にポルトガルは、1492年にグラナダ戦争に勝利したスペインと、「ヨーロッパ以外の世界の分割を協定」し、たポルトガルの探検家の東進は進み、ついにブラジルを発見し、以後アフリカから多くの人々が奴隷として連れて来られ、ブラジルは砂糖プランテーション農業を主産業とするポルトガルの植民地となったのです。
ブラジルはポルトガルに富をもたらすと同時に、ブラジルの従属と低開発が決定づけられたのです。(アフリカ、アジア、アメリカの大半は、大航海時代以後ヨーロッパの植民地となりました。)
ポルトガル人は日本にも到達し、それをきっかけに南蛮貿易が始まり、織田信長などの有力大名の保護もあって南蛮文化が栄えました。
ただ、ポルトガル商人が日本人や中国人らを奴隷として買い付け、16~17世紀にかけて奴隷貿易を行ったことはあまり知られていません。
司馬遼太郎はマドリードからリスボンへの列車の旅で、国境を挟んで一変した建築様式を見て、スペインとポルトガルの両国が積み重ねてきた歴史と文化を考えました。
テージョ川(スペインではタホ川)に沿って開けたリスボンの街で、司馬さんはかつてザヴィエルら多くの航海者が旅立ったであろう河口港や、水中の岩礁に立つ大理石のベレンの塔、ヴァスコ・ダ・ガマの航海が持ち帰った富がつぎ込まれたジェロニモス修道院など、大航海時代の繁栄のあとを訪ねたのです。
これらの繁栄を築いた航海王子エンリケの足跡を追って、司馬さん一行はポルトガルを南下、ついにヨーロッパの果てのサグレス岬へとたどり着きます。
突きだした断崖が突如大洋に落ち込み、涯のない海が広がる光景に、司馬さんは、かつてこの大海へ漕ぎ出して世界のありようさえ変えてしまった人びとの、信じがたいほどの勇気を改めて感じるのでした。(今回釣り師は、司馬さんの気分でポルトガルを旅してます。)
スペインにはフラメンコ、ポルトガルにはファドがあり、スペインのパエリアにも匹敵する料理もありそうです。
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