金沢紀行 その6 「ひがし茶屋街」と「にし茶屋街」を散策

「金沢しつらえ」で昼食を終え、店の外に出た。
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 店の入り口には、浴衣を着た二人の若い女性が店先で中をのぞき込んでいた。

 僕の方はこれから「ひがし茶屋街」の散策である。
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「ひがし茶屋街」の正式な地名は東山ひがしで、ここは重要伝統的建造物群保存地区となっている。
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南北約130m、東西約180m、約1.8haで、保存地区内の建築物140のうち約3分の2が伝統的建造物であり、茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残っている。

もともと茶屋街は江戸時代には遊郭として使われた場所で、金沢の遊郭は最盛期には、東新地(ひがし茶屋街)、西新地(にし茶屋街)、北新地、主計町、愛宕の5か所があったという。

明治になると芸妓(踊り、三味線、笛、太鼓などの芸を売る)者と娼妓(遊女)の区別が明確化された。

茶屋街には芸妓と娼妓が混在していたようで、ひがし茶屋街や主計町茶屋街では芸妓の割合が圧倒的に高かったという。
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「ひがし茶屋街」の散策を終え、「にし茶屋街」に向かった。



「にし茶屋街」の観光客は、「ひがし茶屋街」に比べてまばらである。

「にし茶屋街」は芸妓と娼妓の割合がほぼ同じだったとのことで、芸妓の住むスペースの差が華やかさの差となり、今もこんな感じのようである。
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娼妓の住むエリアと芸妓の住むエリアを推測しながら、人気のほとんどない「にし茶屋街」を散策した。
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金沢を丸1日散策し、金沢セントラルホテルに宿泊した。

ここの宿泊は1泊朝食付き5100円と格安料金で、少しはホテルに儲けさせようと、夕食をホテルのレストランで食べることにした。
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そこがこの、海彦という名のホテルに付随しているレストランである。
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 盛られていた料理も美味しかったが、料理を盛っている皿も芸術品だった。

 この料理だが値段がいくらだったかは記憶も記録も残ってないが、2000円まではしなかったと思っている。

 これで2015726日の旅を終える。

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