ジュンチャンと世界を巡る 第47回はオランダ

 今回はオランダ、ヨーロッパ北西部に位置し、東はドイツ、南はベルギーと国境を接し、北と西は北海に面し、ベルギー、ルクセンブルクと合わせてベネルクス三国と呼ばれています。

 オランダの歴史ですが、現在のベネルクス地方は神聖ローマ帝国の領域の一部で、15世紀末からスペインを本拠とするハプスブルク家の領土となっていました。

 宗主国スペインによる重税政策に対する反発で、スペインとの間で1568年にオランダ独立戦争が勃発し、八十年間の戦争の結果、ようやく1648年に独立が承認されました。

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 オランダは江戸時代の鎖国下、欧州諸国で唯一日本と外交関係を維持した国です。

 当時オランダを通じてもたらされた学問・技術は蘭学と呼ばれて、日本の近代化の貴重なポラリスとなりました。

 釣り師は長崎のハウステンボスや、さだまさしの歌でも有名な長崎にあるオランダ坂を歩いたことがありますが、実際のオランダに行ったことはないので、ここも司馬遼太郎氏に紹介してもらいます。

 二十世紀の半ばまでオランダは海でしごとをしてきた国で、海ときりはなしてオランダ史もオランダ人も成立しなかったのです。

 司馬さんは空路でアムステルダム入りした後、オランダの町を歩きながら、その国土や貿易の歴史について考えていきます。

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 ライデンではシーボルトが日本から持ち帰ったトチの木を眺めながら、決死の大航海で日本にたどり着いた1隻のオランダ帆船から始まった日蘭交流のことを思い、港町ホールンでは、オランダが貿易立国となるきっかけになったニシン漁について考えます。

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 また、ライデンの道路のブロック石がすべて他国から買ったもので、この国がそこまでして街を造っていったことを知るのです。

 そして、「ネザーランダー(低い土地のひとびと)」と呼ばれながら、低地を干拓することによって国土を造ってきたオランダの国民性に思いをはせ、アイセル湖と北海を仕切る大堤防へと足をのばすのです。

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 このあと司馬さんは、ゴッホの故郷でもあり、ゴッホが2年間を過ごしたニューネンをたずね、描くことへのゴッホの情熱や精神の在り方などについて考えます。

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 その後、オランダ北部で海を見たり、ベルギーやドイツとの国境あそびの旅に出たり、この国で有名なチューリップ(貴族や富裕層にとってチューリップは当時、異国情緒あふれる珍しい花で、高値で取引され、富の象徴となった。)や、風車(国土が低いので排水機として使用)のことを考えたり、オランダでの司馬さんの旅は続いて行いのです。


 皆さんは、オランダの何処を歩いてみたいですか。

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