韓のくにの旅 その6 「イ・サン」の創建した龍珠寺
龍珠寺(りゅうじゅじ、ヨンジュサ)は、大韓民国京畿道華城市にある仏教寺院である。
韓国仏教界で最大勢力の曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の第7教区本寺である。
韓国仏教界で最大勢力の曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の第7教区本寺である。
曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)は、新羅時代の854年(文聖王16年)に廉居和尚が葛陽寺が創建したことをもって、龍珠寺の創建としている。
李氏朝鮮の時代、太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に龍珠寺の名前はなく、廃寺になったようである。
1790年(正祖14年)、第22代朝鮮王の正祖(イ・サンのこと)が、非業の死をとげた実父荘献世子の稜を華城に移し、稜の近くで葛陽寺の跡地だった場所に荘献世子の稜寺として龍珠寺を創建した。
落成式の夜に正祖が、龍が如意珠をくわえて昇天する夢を見たことから、龍珠寺と名づけられたと伝えられる。
李氏朝鮮の時代、太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に龍珠寺の名前はなく、廃寺になったようである。
1790年(正祖14年)、第22代朝鮮王の正祖(イ・サンのこと)が、非業の死をとげた実父荘献世子の稜を華城に移し、稜の近くで葛陽寺の跡地だった場所に荘献世子の稜寺として龍珠寺を創建した。
落成式の夜に正祖が、龍が如意珠をくわえて昇天する夢を見たことから、龍珠寺と名づけられたと伝えられる。
先日、韓ドラ「イ・サン」の75回「華城への行幸」でイ・サン一行が、荘献世子の墓参りと華城将台で軍隊訓練を行う場面があったが、荘献世子の墓参りの休憩場所として龍珠寺が登場していた。
イ・サンが反対派に生命を狙われる危機的な場面なのだが、出てくる建物を懐かしく思い出し、しばし場面に見とれていた。
イ・サンが反対派に生命を狙われる危機的な場面なのだが、出てくる建物を懐かしく思い出し、しばし場面に見とれていた。
大雄宝殿は先日の韓ドラ「イ・サン」にも登場した竜珠寺の中心建物で、仏様をまつった法堂である。
ここは、「イ・サン」一行の休憩場所としてドラマの中に出て来た。
この建物の前で、「イ・サン」の親衛隊と反対派の戦闘シーンが繰り広げられていた。
大雄宝殿は建築当時の形態をよく保存していて、規模は正面が3間、側面が3間、多包系様式で二軒に板の間があって8角の屋根である。
前面には各紋4分合の浮き出し模様があり、広間の左右の柱頭部分に竜頭が突出している。
大雄宝殿の三尊仏像の後には、横350㎝、縦440㎝の大きな仏画があるが、現在、京畿道有形文化財第16号に指定されている。
ここは、「イ・サン」一行の休憩場所としてドラマの中に出て来た。
この建物の前で、「イ・サン」の親衛隊と反対派の戦闘シーンが繰り広げられていた。
大雄宝殿は建築当時の形態をよく保存していて、規模は正面が3間、側面が3間、多包系様式で二軒に板の間があって8角の屋根である。
前面には各紋4分合の浮き出し模様があり、広間の左右の柱頭部分に竜頭が突出している。
大雄宝殿の三尊仏像の後には、横350㎝、縦440㎝の大きな仏画があるが、現在、京畿道有形文化財第16号に指定されている。
護聖殿(ホソンジョン)はイ・サンの父である荘献世子祭殿として建立された。
中には仏画が描かれていて、建物の内部は撮影禁止となっていたので、ネット画像で紹介する。
龍珠寺千仏殿はその名のとおり、建物内部に千個の小さな仏像を安置している建物。
ここも撮影禁止となっていたので、ネット画像で紹介する。
龍珠寺千仏殿はその名のとおり、建物内部に千個の小さな仏像を安置している建物。
ここも撮影禁止となっていたので、ネット画像で紹介する。
見事なほどに、小さい仏様が行儀よく並んで安置されていた。
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