奈良大和路散歩(2016年の旅) その47 「奈良大和路散歩」の最後は如意輪寺で

「奈良大和路散歩」の旅も、今回で最後である。

これからこの吉水神社から赤矢印で示した如意輪寺まで、約1.5kmの山道を歩く。


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この如意輪寺は谷を越えて反対の山の中腹に建っている。


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寺は見ている分には近そうに見えるのだが、実際は山を下って反対にある山を登っていくので、何回か途中で小休止しながら小1時間程歩いて、どうやら寺の前に辿り着いた。


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最後にこの急な長い階段を登ると、その最奥に山門が控えていて、そこをくぐると寺に到着である。

寺は平安時代の延喜年間に日蔵上人により開かれ、南北朝時代に後醍醐天皇が吉野に行宮を定めた際に勅願所とされた。


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山門を入ると正面に寄棟造檜皮葺きの如意輪堂(本堂)があった。

ここに安置されている本尊は如意輪観音である。

この寺の宝物殿には、厨子入木造蔵王権現立像(重要文化財)、紙本著色吉野曼荼羅(奈良県指定文化財)、木造阿弥陀如来立像(9世紀頃の作品)、楠木正行辞世の扉( 楠木正行が四條畷の戦いに出陣する時に、「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」と本堂の扉に辞世の歌を刻んだ、その扉とされている。)などが収蔵されているが、そこは見ずに、本堂裏山にある吉野の地で崩御した後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)を見に、急な階段を登っていった。


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この塔尾陵は北面に向かって設置されていて、その方角には京都がある。

鎌倉からの武士の時代に反旗をひるがえし、後鳥羽上皇と同じように王朝政権の復活を願った後醍醐天皇の無念の魂がここに眠っている。

日本は完全に武士の時代となり、天皇と公家が日本国を統治した時代は、日本の歴史の中には再び現れなかった。

吉野山の中千本の如意輪寺まで入ってきたが、ここからは帰路となる。

帰路も小1時間程歩いて、花の頃には素晴らしい風景となるだろう下千本の食堂で昼食とした。


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食事の出来上がりを待っている間に眺めていた窓からの風景が、とても素晴らしかった。


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そして風景と同様な程、この1350円の「桜めんセット」も絶品だった。

これで、「奈良大和路散歩」を終える。

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