金沢紀行 その8 寺町寺院群から西茶屋街へ
加賀藩第三代藩主前田利常が事実上造り上げた寺町寺院群は70近くもある寺からなっている。
赤四角で囲った妙立寺を中心にこんなにあるので、全部回ることは1日がかりの仕事になってしまうので、黄四角で囲った三寺だけを見て回った。
まず、西方寺である。
この寺は前田利家の六女菊姫の菩提寺で、江戸時代は天台宗の触頭(ふれがしら;江戸時代に江戸幕府や藩の寺社奉行の下で各宗派ごとに任命された特定の寺院のことで、本山及びその他寺院との上申下達などの連絡を行い、地域内の寺院の統制を行った寺)をしていた。
次に、金剛寺である。
曹洞宗の寺で開山は天正年間、前田大炊の第三子が出家し、越中(富山県)射水郡守山の海老坂に創建したことが起こりである。
その後三代利常の時代に現在地に移った。
最後は、香林寺である。
この寺は願掛け寺として有名で、特に婚活や恋活にご利益があるということで、二人組の女性が先に訪れていた。
金沢のパワースポットとして注目の寺でもある。
にし茶屋街は2015年7月に1回見ているので、さっと通りを歩いてまだ入館したことのない西茶屋資料館に入った。
「吉米楼」は大正時代に、島田清次郎の小説「地上」の舞台となった場所でもある。
島田清次郎は石川県石川郡美川町(現白山市)の生まれで、早くに父・常吉(回漕業)を海難事故で亡くし、母のみつの実家「吉米楼」で育った。
幼いころから芸妓街で嫌々客をとらされる芸者たちや貧乏ゆえに恋愛も許されない若者を身近に見ながら育ち、他方で政治家や官僚などがまともな政治を行わずに貧民が日本に多くいることへの憤りを募らせたことが、代表作となる「地上」を生んだという。
「地上」は貧しい青年の野望が世の不正,悪徳を小気味よく弾劾していく物語で,異常な反響を呼んで第4部(1922年)まで書き継がれたが,作者の死により未完に終っている。
金沢は間違いなく文学の町で、犀川の両岸だけでも有名な文学者の旧居や文学碑などが林立気味に並んでいる。
しばらく文学の世界に遊んだ後、にし茶屋街当時の貴重な品(金屏風や漆塗りの装飾品、扇子や三味線など)が展示されている2階に足を運んだ。
ここは入室禁止だが、「吉米楼」当時の、芸者が客と遊んだ当時を再現している部屋である。
古き良き世界をしばし楽しんで、西茶屋街を出た。
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