「街道をゆく」で出会った「日本を代表する人物」 その19 耽羅紀行(済州島の旅)  泉靖一耽羅紀行(済州島の旅) 泉靖一 

 僕の心の中で気になる場所で、行きたいと思いながらなかなか行けなかった済州島に、2014年4月14日~16日の2泊3日の日程で行って来た。

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 最近の済州島への興味は、気楽な娯楽としてのオールインなどの韓ドラの中のロケ地を実際にこの目で見てみたいというものに変わってしまったが、その前は、文化人類学者の泉誠一(僕の中では、インディジョーンズのような考古学者として認識、憧れの存在でもある。)を通して、済州島という島に対して、学問的に真面目に興味を持っていた。

 泉靖一の京城大学卒業論文のタイトルは、「済州島-その社会人類学的研究」である。

 僕が大学へ入って間もない頃(暇に任せて古本屋あさりをしていた頃のことだが)、タイトルに惹かれて文庫本等を20冊ほど買ったことがあった。


 その中の1冊に、泉靖一の名著「インカ帝国」という岩波新書本があった。
 
 彼の「インカ帝国」は、僕が高校1年の時にペルー移民100周年事業として開催された「悠久の大インカ展」で、アブリマック川源流部近くにそびえるアンパト山の山頂付近の氷解の中から発見された、あのイケニエにされミイラとなった「美少女フワニータ」に出会った時以来の感動を、僕に与えた。
 

 それから、泉靖一の著書を何冊か読んでみた。


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 彼の自伝である「遥かな山やま」、思索の旅をしながら綴った「フィールド・ノート」、北海道天塩町生まれの作家である藤本英夫著の伝記評伝「泉靖一伝」などである。
それから、彼の熱狂的?なファンを自認するようになった。
 泉靖一ファンの割には彼の著書については前述の著書だけで、そう多くも読んでいない。

 彼の経歴で特筆されるのは、京城(今のソウル)での生活が長かったことだろう。 
 
 彼の生涯は1915〜1970年の55年だが、1927年から1945年まで京城で生活している。
その頃の朝鮮は南北に別れてなくて一つの国のまま日本の属国として日本の支配下にあり、彼は支配する側の民族として朝鮮に18年もの間生活していた。

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             朝鮮人の友人と(真ん中が泉)

 人生の3分の1の時間を、泉誠一は朝鮮半島で過ごした。その頃のことは彼の自伝である遥かな山やまに詳しく著述されており、藤本英夫氏の泉靖一伝でもわかりやすく力を込めて記述されている。

彼の人間的魅力については多くの人々の知るところであり、実は彼に惹かれて済州島という島が気になっていたのである。

 巨万の富を築いた冒険商人天野芳太郎は、泉晴一がペルーを訪れるたびに寸暇を惜しんで会い、プレ・インカの盃でビスコ(古代から伝わるブランデー)を酌み交わした友人である。
 彼らの話題は古代人の生活から漢詩の世界まで、とどまるところを知らなかったという。
 その晩年の天野が、泉誠一との思い出をこう話している。
 「実に愉快な友達だった。99%まで友達だった。」残りの1%だが「彼は朝鮮文化に帰っていった。(泉誠一は、12歳から30歳までを朝鮮半島で過ごした。)それがたまらなく淋しい。」と、恋人の心変わりを嘆くように言ったという。


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泉誠一がアンデスを捨て恋人の元へ帰るように帰って行った済州島、そこにに行ってみたいと心から思った。

 その思いを今回の旅で達成できたかどうかは僕にも判らない。

 それでは済州島の旅に出る。

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