砂鉄と銀と神話の道(2017年の旅) その56 群言堂で旅の終わり
気分よく歩いていくと、絶景スポットと紹介されている観世音寺へ行く階段下に着いた。
この階段を上がって観世音寺境内に入って行くと、そこが絶景ポイントだった。
赤い石州瓦の町並みが眼下に広がっていて、ここでしばらく素敵な町並みを眺めたり写真を何枚か撮ったりして、いい日旅立ちに相応しい時間を楽しく過ごした。
次に、この町の上層の武家屋敷として保存されている河島家住宅に入った。
上層の武家屋敷は通りに面して門・塀があり、主屋との間に庭を設けている。
部屋は庭に面して接待用の座敷があり、生活の場である納戸などは座敷の背後にある。
土蔵、物置、風呂や便所などの付属屋は主屋の背後に配置されている。
色々見て歩いたが、この家では食器、古文書、衣類、掛け軸などの生活品の収納がキチンとされていた。
これもその一つであるすだれ、御簾(みす)、ゴザであるが、吊り棚に保管されているのが面白かった。
一とおり河島家住宅を見て回って、接待用の座敷で庭を見ながらしばしくつろいだ。
上級武家屋敷の向かいに、下級武家屋敷があった。
この家が、代官所の同心を勤めた下級武士の柳原家である。
同心は、江戸幕府の下級役人のひとつで、与力の下にあって庶務・見回などの警備に就いていたと思われる。
上級武家屋敷とは雲泥の差である。
少し歩いて、この家は代官所地役人三宅家遺宅である。
詳細は不明だが、屋敷構えや規模から見て中級武士の遺宅と考えられている。
この他にも色々見て回ったが、ますます上がってくる気温の中でペットボトルを2本も空にしてしまって、これ以上歩きまわるのは困難となったので、この辺で昼食とした。
食事の場所となったのは、石見銀山のふもとに根を下ろしてものづくりを続けてきた「石見銀山生活文化研究所」が経営する群言堂である。
築約150年の旧商家を再生した群言堂の室内は、いかにも芸術的で美しく装われていた。
ここで食べたのが里山おむすびの昼食、最初はこの3個のおにぎりが、左上のように上品な風呂敷で包まれていて食べる前から感激したが、食べ終わっても感激は続いた。
午後は石見銀山まで歩いたが、ここでそれを記すことはしない。
砂鉄と銀と神話の道(2017年の旅)は、この群言堂で終了とする。
今回の旅では、鳥取県の境港と島根県の出雲と呼ばれる地方と石見と呼ばれる地方のほんの一部を巡った。
境港のみが雨天であとは好天に恵まれて、街道をゆく後半戦一年目の旅はトラブルもほとんどなく、順調に快適に全行程を過ごせた。
旅の収穫も非常に多く、充実した旅となった。
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