金沢紀行 その12 足軽の清水家を見学
家の前に「足軽」の説明看板が立っていたので、それを読んでみた。

「足軽とは戦闘時に駆り出される歩兵のことを指す。戦国時代には弓・鉄砲の部隊を編成して活躍したが、江戸時代には武士の最下層に位置づけられた。」と書かれていた。

それでは江戸時代最下層の武士の家に入っていく。
足軽とはいえ加賀藩において4LDKで庭付きの家がしっかりと与えられていたようである。

ここは座敷で、客がくるとここで接客していたようである。
ただそれ程身分の高い武士が来ることはなく、いたって気楽に相手をしていたようである。
座敷の向こうには廊下があり、その向こうには庭があって、僕らの住んでいる家と間取りや大きさなどいくらも変わらない。

今いる場所は納戸という部屋で、その向こうには台所がある。

ここは鍵の間の言われる部屋で、納戸一室での就寝や収納に無理が生じてくると、この鍵の間が付加された。
ここでは日常大人たちが内職をしたり、作法書などの書物を読んでいた。
また子どもたちも内職の手伝いや手習いをし、それが終わるとそれぞれ工夫した玩具で遊んでいて、夜になると子どもたちはそろってここで就寝した。
清水家は加賀藩の早道飛脚をやっていたということで、夏季は5日間、冬季は6日間で江戸と金沢を駆けていた。

なお、足軽職は加賀藩では世襲で定数も決められていて、このようなしっかりした1戸建て住宅に住んでいたのである。
この住宅の広さや間取りなどは、明治以降の普通の労働者階級の住宅の原型になったということである。

この戸の向こうに庭があるが、庭は観賞用ではなく、野菜や果樹を栽培して食料とする自給自足の場であった。
この庭には、イチジクや柿の木などが植えられていたという。
この記事へのコメント