金沢紀行 その14 金沢城石垣巡りを終える
ここは土橋門石垣である。

土橋門を説明する立札が立っていたので掲載する。

この石垣は「切り石積み」の技術が用いられ、石垣に組み込まれた六角形の石は亀甲石で、水に親しむ亀を表していて、防火の願いが込められていた。

この付近は数寄屋といわれ、藩主の側室たちの住まいがあったところである。
石積みの方法は石の表面を長方形に仕上げた「切石積み」である。

この橋は極楽橋である。
二の丸と本丸附段の間の空堀に架かっていて、極楽橋の名は金沢御堂(金沢は、戦国時代に加賀一向一揆の拠点として金沢御堂が築造され、その周りに町がつくられたのが始まりとされている。)に由来すると伝えられている。

ここは三十間長屋石垣である。
石垣の積み方は「切石積み」で、表面の縁取りだけをきれいにそろえ、内側を粗いままにしておく「金場取り残し積み」という技法が用いられている。

ここは戌亥櫓石垣である。
この石垣は「粗加工石積み」の積み方をしているが、石の隙間に平らな石をはめ込み、「切石積み」のように見せる技法が用いられている。

ここは鉄門(くろがねもん)である。
二の丸から本丸に入る正門で、鉄板を貼った扉がつけられていたことからこの名が付いたといわれ、渡櫓が乗った重厚な門で本丸の防御にあたっていた。

ここは戌亥櫓跡である。
本丸の北西角で戌亥の方角にあたることから、戌亥櫓と呼ばれていた。
金沢城の石垣を1時間ほどかけて見てきたが、内心はガイドと一緒にゆっくりと回ってみたかった。
機会があったらまたここを訪れることにして、次の場所に向かう。
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