津軽街道をゆく(2013年の旅) その21 芦野公園で太宰と遭遇

激馬かなぎカレーの昼食の後は、1時半からの津軽三味線会館(斜陽館前)での生演奏までの時間、芦野公園を散策することにした。

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 津軽鉄道の踏切を越え、道なりに芦野公園の中を散策して行く。

黄色で囲った津軽三味線発祥の地碑太宰治像太宰治文学碑の順に見学した。

まず、津軽三味線発祥の地碑である。

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津軽三味線創始者の神原の仁太坊(本名:秋元仁太郎 1857~1928)はこの金木町の出身、苦難の末に生きるための芸として「叩き奏法」を造りだした。

門下の「嘉瀬の桃」「白川軍八郎」らにより、やがて津軽三味線の基礎が築かれたという。

次に、太宰治像である。

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芦野湖を背景に、太宰はいかにもキザないい男風に立っていた。

この像を背景に、通りがかりの中年男に頼んで、ここで僕も太宰にまけないくらいに思いっきりキザに構えて、記念写真を撮ってもらった。

とても公開できるシロものではないが。

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 そして、最後に太宰治文学碑である。

文学碑設置の経緯がこう記されている。

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「選ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」という太宰が愛したヴェルレーヌの詩を引用している。

インターネットで意味を調べると、原詩は、信仰者として神に選ばれた者としての「恍惚と不安」を語っており、太宰が引用した意味は、『天才として、あるいは、すぐれた文学者として、自分が神に選ばれているという「恍惚と不安」を表現したもの』だという。

太宰の人生に対する態度のようにも見える言葉と感じた。

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