韓のくにの旅 韓の国の旅その15 安東河回村
写真を撮り、ビデオを撮影しながら、急ぎ足で周ガイドの後を追っていく忙しい旅となってしまっているが、安東河回村だけは時が止まったような感覚が間違いなくする風景で、仙台からツアーに参加した明るい雰囲気の奥さんは、「まるで長崎の・・・のようだ」と言っていたが、僕はこの風景を見て、真っ先に日本の古都「奈良」の田舎を思い出した。
平垣の向こうの柿も食べごろに見え、法隆寺の鐘の音でも聞こえそうな風景だった。周ガイドについて行くのがやっとだったので、どこをどう歩いていたのかもわからなかったが、後になって旅の行程を整理していくうちに、安東河回村で辿った行程が確認できた。
先ず、僕らは和敬堂(北村)を見学した。
270年を越える歴史を持つ邸宅で河回村の中でも一二を争う規模と品格を備えている。ここはヨン様、ぺ・ヨンジュンが宿泊したことで有名で、ヨン様は、2008年 10月1日に『韓国の美をたどる旅』の取材で村を訪問し、この和敬堂(北村)に泊った。
次は、和敬堂(北村)のすぐ裏にある三神堂ご神木。
ご神木は村を守る樹齢600年を越える欅の巨木で、子宝を授け、子供の成長を助けるサンシン(産神)ハルモニ(お婆ちゃん)の木として有名で、御神木の周りの綱には多くの願い事がかかれた短冊が結ばれている。
この短冊は日本人観光客がチケットに願い事を書いてしめ縄に結んだのがはじまりだそうで、今では御祈願が恒例となったというユニークなエピソードのある御神木である。
次は養眞堂、柳従恵公が15世紀河回村に入村し初めて建物を建てたのがこの場所で、豊山柳氏600年の歴史と気品を伝える総本家である。屋根の高さで両班の家格を示すが、養眞堂の屋根の高さは正に村一番。門をくぐると「立巌古宅」の扁額が掛けられた風格のある建物。
「立巌古宅」という号は、儒学者柳雲龍と文禄の役の際の領議政(現在の首相に相当)であった柳成龍兄弟の父親である立巌柳仲の号に由来している。養眞堂の向かいには、文禄の役の時代朝鮮王朝最高責任者だった柳成龍の邸宅だった忠孝堂があるが、今回はここは素通りした。
この後最後に行ったのが、韓流スター、リュ・シウォンの実家「澹然斎」、一般公開されてないので案内図にも載ってない。
周ガイドがリュ・シウォンの本名の書いてある表札を指している。
リュ・シウォンは柳氏一族で、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、朝鮮国の宰相であった柳成龍の子孫にあたる。澹然斎という名称は、リュ・シウォンの実父リュ・ソヌ氏が漢学者・任昌淳(イム・チャンスン)氏とともに「清く安らかな気持ちで学問を身に着ければ知恵や意義が広がる」という意味を込め命名したという。
立派な大門の脇の土塀に小さな穴があり、周ガイドの説明によると、この穴の中には朝鮮時代、科挙試験を受けにソウルまで旅するソンビ(儒学者)たちのために ”ささやかな奨学金” が置かれていたという。
穴の高さと大きさは、子供の手が届かない高さ、農夫の手が入らない大きさなのだというが、実際に僕ら大人でも手が入れられた。農民や労働者の働く大きな手の人は、このツアーでは一人もいなかったようだ。
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