奇跡のリンゴ
あらすじ

1970年代の青森県中津軽郡岩木町(現・弘前市)。
三上秋則はリンゴ農家・木村家の一人娘・美栄子と結婚して木村家に婿養子入り、サラリーマンを辞め、美栄子と共にリンゴ栽培にいそしんでいたが、ある日、美栄子の体に異変が生じる。美栄子の体は年に十数回もリンゴの樹に散布する農薬に蝕まれていたのだ。
秋則は美栄子のために無農薬によるリンゴ栽培を決意するが、それは当時、絶対に不可能な栽培方法と言われていた。秋則は美栄子の父・征治の支援を受けて無農薬栽培に挑戦するが、案の定、何度も失敗を重ね、借金ばかりが膨らんでいく。次第に周囲の農家からも孤立していき、妻や娘たちにも苦労をかけてしまう。
10年の歳月がたっても成果が実ることはなく、窮地に追い込まれた秋則はついに自殺を決意、1人で岩木山に向かう。すると、彼はそこで実がたわわになった自生した1本のリンゴの樹を発見、これが奇跡の大逆転の糸口となる。

何にもまして、岩木山とリンゴのツーショットが美しい。
青森県はリンゴ生産がダントツで日本1の県。
第2位の長野県を旅した時も、随所にりんごの木が赤い実をつけていて、芳醇な世界を作っていた。
特に長野県の飯田市では、街路樹のような感覚でりんごの木が道の両側に植えられていて、風景の美しさに感動を覚えたことがある。
このりんご並木は1947年に発生した「飯田の大火」の復興過程で当時の飯田市立飯田東中学校の生徒達の提案により生まれ、今日まで代々東中の生徒の手で育てられている。

1999年には並木全体が大きな公園として整備され、春には白い花・秋には赤い実をつけ、道行く人を和ませている。
りんごの一二を争う生産県には、りんごについての数限りないエピソードがあり、その一つ一つが魅力的な物語となって、県民性を形成する特徴の一つの要因となっているのだろう。
青森県のりんご農家は、りんごの木を家族同様に扱うという。
それほど手をかけ、いつも大切に見守って育てているのだという。
そういう青森県の風土に根ざした県民性が感じられる、心の奥にしっかりと伝えたいメッセージが届いて、映画の終了後しばらく席を立てなかった。
農作物に限らず、何かを心を込めて育てていくという行為は、人間の気持ちをそれなりに高等にするようだ。
映画の舞台となった弘前(青森県)がすっかり気に入った。
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