"探険家の歴史(探険家列伝) 第4部 日本の探険家たち"の記事一覧

探検家列伝第4部 その3 探検家を超えた村上島之丞

村上島之丞(1764年-1808年)は、本名を秦檍丸という。 18世紀の中頃伊勢の神職の子として生まれ、寛政の改革の立役者である松平定信に見出されて数回に及び蝦夷地の探検を行なった北方探検家の一人である。 彼は探検家としても名高いが、地理学や風俗学に長じており、また文章や絵画にも優れた才能を持っていたため、蝦夷地や特に彼…
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探検家列伝第4部 その2 最上徳内(今世紀における最も卓越した探検家)

最上徳内はシーボルトに、「尊敬すべき老人」「尊敬すべき老友」で「今世紀における最も卓越した探検家」と高く評価された北方探検家である。 徳内は1754年、出羽国村山郡楯岡村(現在の山形県村山市楯岡)に生まれ、1836年10月14日に、82歳で亡くなっている。 実家は貧しい普通の農家であったが、農業のかたわらたばこ栽培を営み…
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探検家列伝第4部 その1 松前藩の祖「武田信廣」と松前藩

18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍した日本の探検家達を取り上げる前に、江戸幕府から日本の北の辺境の地である蝦夷地(北海道、樺太、千島)の支配権、交易権を公認されていた松前藩について簡略に記する。 渡島半島の南端にはアイヌ文化成立の前段階である擦文時代には、擦文文化と本州土師器文化の間に生じたクレオール(植民地)的文化である青苗文…
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