探検家の歴史 第4部 その7 伊能忠敬その2(第5次測量まで) ここで第1次測量から第10次測量までを一覧表で見てみる。 最初は忠敬一家(息子、弟子、下男、人足)程度の規模の測量で測量費用も自腹だったが、第三次測量(1802年~東北日本海側)からは測量地の藩の協力が得られ、手当も支給されて収支トントンに近づいた。 第五次測量(1805年-1806年~近畿・中国地方)からは幕府直… トラックバック:0 コメント:0 2021年02月05日 歴史 探険史 ロシア 続きを読むread more
探検家の歴史 第4部 その6 伊能忠敬( 日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした人) 伊能忠敬は足かけ17年をかけて全国を測量し、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした人である。(下図は伊能地図であるが、今とほぼ同じ、伊能のすごさは、こういうことである。) 忠敬の測量の旅は第1次から第10次測量までの10回で、探検と言えるようなものは第1次測量を行なった1800年の蝦夷地太平洋岸の… トラックバック:0 コメント:0 2021年02月02日 歴史 探険史 ロシア 続きを読むread more
探検家の歴史 第4部 その5 近藤重蔵(探検家として人間として、尋常でないレベルに達した人) 近藤重蔵(1771年〜1829年7月16日))は、江戸時代後期の幕臣で探検家である。間宮林蔵、平山行蔵と共に文政の三蔵と呼ばれている。 1771年に身分の低い貧しい武士である御先手組与力・近藤右膳守知の三男として江戸駒込に生まれ、山本北山に儒学を師事した。 幼少の頃から神童と言われ、8歳で四書五経を諳んじ1… トラックバック:0 コメント:0 2021年01月29日 歴史 探険史 ロシア 続きを読むread more