能登(日本道)への道 その23 渤海の話Ⅲ 日本との交易のために渤海が整備した道が中国の歴史書にも記されている「日本道」である。 「日本道」は上京の都を出て、そこからロシア沿海地方に出て日本海を渡るルートである。 渤海使が船出した地点がクラスキノ遺跡である。 ウラジオストクから車で6時間、クラスキノ遺跡はそこにある。 … トラックバック:0 コメント:0 2022年09月23日 能登(日本道)への道 歴史 旅行 続きを読むread more
能登(日本道)への道 その22 渤海の話Ⅱ これからロシアに200箇所以上ある渤海の遺跡の一つを、ロシアのウラジオストク郊外まで訪ねていく。 最初に向かったのが、渤海時代の山城の跡である。 ここは山城の跡で、山城は4mの石垣で囲まれていたということで、NHKの杉浦知紀アナウンサ-の手の高さの2倍位の高さがあったことになる。 渤… トラックバック:0 コメント:0 2022年09月16日 能登(日本道)への道 歴史 旅行 続きを読むread more
能登(日本道)への道 その21 渤海の話Ⅰ これからは渤海の話となる。 渤海は、西暦698年から926年まで、今の北朝鮮と中国東北部とロシア沿海州の一部を領土として、228年もの長い間栄えた国である。 日本の時代では飛鳥・奈良・平安時代のことで、その間渤海は34回も日本に使者を送り、その延べ人数は2500人にもなった。 … トラックバック:0 コメント:0 2022年09月09日 能登(日本道)への道 歴史 旅行 続きを読むread more