"能登(日本道)への道(2017年の旅)"の記事一覧

能登(日本道)への道 その20 渤海までの二つめの話

二つめの話は、5世紀となる。 この時代は倭の五王の時代で、大和政権は強大な力となり、朝鮮半島南部の支配をめぐって優位な立場に立つため、中国の宋に朝貢して安東将軍などの称号を得た。  例の讃、珍、済、興、武の時代で、大阪の堺市には仁徳天皇(讃と比定されている)陵などの巨大な前方後円墳が造られた。…
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能登(日本道)への道 その19  弥生時代末期頃の朝鮮半島南部との交流

渤海のことを取上げたちょうど良い資料がNHKスペシャルで放映された「日本と朝鮮半島2000年」である。  その第5回のテーマが、「日本海の道~幻の王国・渤海との交流~」である。  古代の朝鮮半島との交流は、玄界灘から瀬戸内海を通る青線の「瀬戸内海ルート」が主流だったが、直接日本海を渡る赤線の「日本海ルート」での交流も…
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能登(日本道)への道 その18 旧福浦灯台まで歩く

福良津を見下ろす高台に石川県指定史跡に指定されている旧福浦灯台がある。 この金比羅神社の向こうに、旧福浦灯台の方向を示す看板が立ててあるので、そこから右手に曲がり、灯台までのんびり歩いていく。 歩いているのはこんな細い崖道で、左はガードブロックで固められており、右手はガードレールで守られている。 靴音が一番大きく響…
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